能登半島地震から1日で10カ月になった。9月の豪雨でも被災し、復興の歩みが振り出しに戻った集落の住民は苦悩の色を深めている。

 山は大きく崩れ、大量の土砂がふもとの家を押し流し、海沿いを走る国道まで塞いでいる。

土砂に埋まったままの集落=2024年10月31日午後1時59分、石川県珠洲市仁江町、金居達朗撮影

 「もうここに住むなと、烙印(らくいん)を押されたようだった」。半島の先端に近い石川県珠洲市仁江町。区長を務める中谷久雄さん(69)は豪雨後、集落の様子を見に訪れ、そう思った。

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 23世帯が暮らしていた仁江町では、地震による土砂崩れで住宅1棟がのみ込まれ、9人が犠牲になった。さらに崩れるおそれから避難指示が出されたうえ、対策工事に数年かかる見通しで、県は5月に全世帯を長期避難世帯に認定。集落に住めなくなった。

 その間、ばらばらになった住民は、LINEグループ「仁江町LINE集会所」をつくり、全世帯が連絡を取り合える体制を築いた。意見をまとめ、3月以降に3度、市に集落内への災害公営住宅建設を求める要望書を出した。

 最初の要望書には「この地を愛する人々が、一日も早く戻りたいという気持ちは、時間が経つに従いだんだんと薄れていきます。仁江町住民で現在16世帯47人が地元に帰りたいと熱望しています」と思いの丈をつづった。

珠洲市の真浦町と仁江町

 災害公営住宅の用地には、約2メートル隆起した集落前の海岸を埋め立てることを提案。市は、宅地にすることを想定して海岸を造成するための覚書を国と交わす調整を進めていた。

 その矢先、豪雨に襲われた。

 集落は再び孤立し、自宅に戻ってきていた4人はヘリコプターで救助された。住民の拠点で、地震では無事だった集会所にも泥が流れ込んだ。

 「この辺は海もいいし、山もいい。隠居して暮らすにはええとこなんやけど。戻ってこられるまでに、果たして何年かかるのか」。集落を出て、金沢市のみなし仮設のアパートで暮らす男性(70)は、災害公営住宅建設の話が白紙になることを心配する。

 集落再建への道筋が見えなく…

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