飛田穂洲の「一球入魂」の碑の後方にあるノーブルホームスタジアム水戸

 開催中の高校野球春季関東大会の会場にもなっているノーブルホームスタジアム水戸(水戸市民球場)。球場の正面には、2体の胸像がある。

 1体は「学生野球の父」として野球殿堂入りをしている飛田穂洲(すいしゅう)。もう1体は衆議院議員も務めた元全日本軟式野球連盟会長の岡部英男だ。水戸市体育施設整備課の本田順一は「学童から還暦野球まで、幅広い方々にご利用してもらっているのが球場の一番の自慢です」と話す。

 飛田は、水戸市と合併した旧常澄村大場の出身。水戸中(現水戸一高)から早大へ進学。その後、早大の初代野球部監督を経て朝日新聞社で記者として学生野球の育成発展に努めてきた。

 胸像の銘板には「神宮・甲子園など各球場ネット裏から球児たちの健闘を愛情深く見守り 紙上に載せられたその論評たるや正に激烈かつ適切 しかも人間的滋味を忘れぬ名筆は 読む者に深い感動を抱かせずにはおかなかった」の一文が刻まれている。

 水戸市と国際親善姉妹都市の米・アナハイムにちなみ「アナハイム通り」と名付けられた球場前の道路からの入り口には、飛田の名言「一球入魂」と書かれた碑がある。現在、飛田穂洲旗中学校野球大会が、水戸市などの主催で開かれている。

 球場は、夏の全国高校野球選手権茨城大会の主会場でもある。常磐大高野球部監督の海老沢芳雅には、茨城東監督時代の鮮烈な記憶がある。

 1997年夏。決勝の相手は後にプロ野球阪神などでも活躍した井川慶がエースの水戸商だった。水戸市内の学校の対戦でもあり、当日の有料入場券だけで8千枚が売れた。

 スタンドを見て海老沢は「すげぇなこれ、と思った。内野は立ち見。外野もギュウギュウだった」。いまでも茨城大会最多の観客動員と語り継がれる。茨城東は4―1で勝ち、2度目の甲子園出場を果たした。

 元全日本軟式野球連盟会長の岡部は、茨城県日立市の出身。「小学生の甲子園」と言われる高円宮賜杯(しはい)全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメントの誘致に尽力した。大会は90年から2008年まで、この球場で開かれた。開会式で、当時大リーグ・マリナーズに入団したイチローが書いてくれたメッセージを筒にいれヘリコプターで落としたこともあったという。

 様々な大会の開催は、日程調整にも苦労する。ただ、野球人口の急激な減少が続いている昨今。茨城県高校野球連盟の副理事長でもある海老沢は「中学野球がなければ高校野球は成り立たない。学童が無ければ中学野球は成り立たない。野球をやる人が少なくなっている今、幅広い世代の人が利用できる球場は、ある意味良いのかなと思う」と語る。=敬称略

ノーブルホームスタジアム水戸

 1980年3月に水戸市民球場として完成。ネーミングライツで現球場名に。中堅122メートル、両翼100メートル。内外野とも1万人の収容で計2万人。水戸駅からタクシーで15分。2018年に、翌年の茨城国体に向けてリニューアルがされ、国体では硬式高校野球の会場になった。

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