13日に死去した詩人の谷川俊太郎さんは音楽を愛し、作曲家の武満徹さん(1930~96)や指揮者の小澤征爾さん(35~2024)ら、様々な音楽家と親交を結んでいた。武満さんの長女で音楽プロデューサーの武満真樹さんと、家族ぐるみで交流があったギタリストの荘村清志さんに話を聴いた。
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谷川さんと武満さんは、自他ともに認める親友だった。真樹さんは谷川さんを「ちょっとクールで、誰ともべったりはしないけれど、ほんとうは情のある、とてもとても優しい人」と振り返る。
「おやじさん(武満さん)は、自分の作品の初演にはいつも谷川さんを招いていた。谷川さんは楽屋に寄らずに帰っちゃう。それで、後から感想のはがきが来たりする。曲が気にいらないときも、そんな風にはっきり言う」
谷川さんは、武満さんと小澤さんと3人でしばしば会っていた。小澤さんが音楽総監督を務めていたサイトウ・キネン・フェスティバル松本(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)にも、毎年のように顔を出していた。
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何にでも好奇心を抱き、電化製品への関心が強いという一面も。真樹さんに「電化製品なら何でも僕が買ってあげる」と言い、一緒に電器屋に行くのを楽しみにしていたという。
「人がやりたいことを、あるがままに受け入れる人だった。決してアナーキーなわけじゃなく、それはそれでいいんじゃない、という風に。ご自身も好きなように生きてこられたからだと思うけれど、すべてを俯瞰(ふかん)して、世界を見ていた。谷川さんと話していると、ああ、こういう風に考えて生きていけば楽なんだな、と気付くことができた」
96年、武満さんが危篤にな…