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酒造りをする馬宮亮一郎さん=2024年2月21日午後2時53分、徳島県三好市、増田洋一撮影
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 「ネコと和解せよ」「残骸」――。ユニークな商品名とイラストのラベルが特徴の日本酒を次々と送り出す酒造会社が徳島県にある。

 創業135年の三芳菊(みよしきく)酒造。蔵元の馬宮(まみや)亮一郎さん(56)は「目立とうとしました。悪評でも無関心よりはいい」。伝統にとらわれず革新に挑み続けている。

 家業の三芳菊酒造に戻ってきたのは25歳の時だった。東京の大学を出て、レコード店の店員をしていた。

 「酒蔵の経営が厳しく、廃業の危機だ」。両親から電話があった。自分が手伝えば何とかなると思って戻ったが、借金は数億円、家も土地も担保に入っていて、酒蔵をやめたら住む場所もなくなるところまで追い詰められていた。

 酒造りの責任者である杜氏(とうじ)の雇用をやめ、自ら杜氏になって日本酒を造ろうと決心した。32歳。酒の造り方は杜氏から学んでいた。

 当時は日本酒業界にとって「冬の時代」。全国で多くの蔵が廃業していた。

 自分で造った酒を持って東京の酒販店を回ったが、なかなか売れなかった。馬宮さんには3人の娘がいる。幼い頃から酒造りを手伝っていた。馬宮さんが東京から戻ると、「お父さん、お酒売れた?」と聞かれた。「1本も売れなかった」とは言えず、「たくさん売れたよ」とうそをついた。3姉妹が喜ぶ姿を見て「もっと頑張らねば」と奮起した。

 洋食を好むようになった日本人の食生活に合う日本酒、若い人が飲む日本酒をめざし、「伝統的な辛口とは違う、おいしい日本酒を造ろう」と思い定めた。フルーツのような香りとパイナップルジュースのような甘酸っぱさが特徴の個性的な酒を生み出した。

 「変な味とか、いろいろ批判されましたけど、10年ほどかかって、支持してくれる人も増えてきました」

 今では複数の日本酒ランキングサイトの徳島県の部で1位を獲得している。悪い評価も少なくないが、それも個性の証左と受け止める。

 酒の味と香りを左右する酵母は2種類を使い分ける。特長がある半面、扱いが難しいため、他の酒蔵ではほとんど使われていない酵母だ。「年間50回ぐらい酒を仕込んでいますけど、理想の酒ができたことはありません」

 醸造過程で音楽による振動を与えて造る「加振酒プロジェクト」にも取り組んできた。音響機器メーカーやIT大手との協業だ。「振動を与えた酒は与えていない酒に比べて発酵が進み、濃厚な味に仕上がる」という。どんな音楽が醸造に向いているかは研究途上だ。

 9年前、サプライズがあった。高校3年生だった長女の綾音(あやね)さん(26)から「東京農業大学の醸造科学科に進学して、将来は酒造りをしたい」と打ち明けられた。綾音さんは卒業後、日本酒の卸会社に入り、東京の百貨店の酒売り場で働いている。

 6年前の正月、大学生だった綾音さんが帰省した際には、妻の和子さん(55)と3姉妹を合わせた家族5人で初めて酒を造った。仕込んだ酒は2年間氷温で貯蔵してから、姉妹それぞれの名を付けた3種の酒として出荷し、完売した。

 次女の織絵さん(24)はその後、姉と同じ大学を卒業し、米国に留学中。「お姉ちゃんが酒造りをするなら、私も手伝うわ」と話しているという。三女の胡春(こはる)さん(22)も大学生になった。

 酒蔵をやめようと思ったことは何十回もあるという馬宮さん。しかし、奮闘の結果、一時は数億円に上った借金はほぼ返済した。コロナ禍で落ち込んだ売上高も、輸出を増やして回復した。「酒蔵を大きくしようとは考えていません。娘たちの誰かが引き継いでくれて、家族みんなでやっていけたらいいかな」(増田洋一)

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〈三芳菊酒造〉明治22(1889)年創業。従業員5人。生産量は700石(一升瓶で約7万本分)。近隣の契約農家で栽培した酒米を近くの松尾川のわき水で仕込んでいる。

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