Re:Ron連載「絵本とわたし」(第1回) 絵本編集者・沖本敦子
絵本の世界からいまの世界を見ると? 「絵本とわたし」では、絵本作家や編集者に寄稿してもらい随時配信します。
先日、久しぶりに絵本作家のヨシタケシンスケさんにお会いした。ヨシタケさんの絵本デビュー作となる『りんごかもしれない』など何冊かの絵本を一緒に作らせて頂いたが、その後、編集担当を離れた。こんな風にじっくり話したのは、5年ぶりだ。
新しいアトリエに迎え入れてくれるヨシタケさんは、以前と変わらぬ物腰と服装で、一瞬だけ時空がゆがむ。「お久しぶりです」のあいさつもそこそこに、切り出したのは不安の話。
「ヨシタケさんは着実にキャリアを積み、押しも押されもせぬ絵本作家になりました。静かなアトリエで制作に打ち込める環境もある。どうです、今、不安の方は? いなくなりました?」
そう私が尋ねると、ヨシタケさんは、前のめり気味に答えてくれた。
「全然なくなりませんよ。最近は目の前の小さな心配事がなくなった分、その奥にある途方もない不安の存在に気づいちゃって。今思うと、些細(ささい)な不満や心配事が、ボスキャラみたいな巨大な不安を隠してくれていたんだなあと……」
それを聞いて、私は心の奥底で安堵(あんど)した。
「やっぱそうですよね」
「怯え担当チーム」→産後うつ
不安は、環境要因が変わったところで、簡単に消えるようなものではない。世の中には、どうがんばっても、不安を消せない私のようなタイプの人種がいる。言うなれば、人類における「怯(おび)え担当」チーム。そんな人たちと一緒にしばし立ち止まって、不安について考えたいと思った。
不安の強いこわがり人間は、一生怯え、消耗し続けるのだろうか?
私が子どもの本の編集者になって20年。ベテランと言われてもおかしくない年齢だが、相変わらず、世界に怯えながら、右往左往して生きている。ヨシタケさん同様、私も生まれつき、極度に不安が強い人間だ。「作家が繊細なのはわかるけど、作家を元気づける立場の編集が怯えてばかりってどうなのよ?」。そんな声も聞こえそうだが、こればっかりは性質なのだから仕方ない。
赤子の頃からよく泣く子だった。電車の中でいつまでも泣きやまない私を抱いた母は、見知らぬおじさんに「そんなに泣く子は、窓の外にすてちゃいな」と、どやされたこともあるそうだ。小学校のツベルクリン注射では、学年でただひとり、パニックになって脱走した。家庭科室前で先生に捕獲されて以降の記憶は、あまりの恐怖にきれいさっぱり飛んでいる。
不安が高じて、出産後は見事に産後うつになった。35歳、今から11年前のことだ。
生まれたての赤ちゃんは、かわいいけれど、恐ろしい。息を吹きかけるだけで「けけけ」と笑い、真新しい手足をばたつかせる、すべすべの小さな生き物。想像のはるか上を行く圧倒的な愛(いと)おしさ。けれどもなぜか私は、不安にどんよりと落ちていく。
「こんなに……こんなにかわいいものを見ちゃったら」
スマホに保存した動画を見ながら、私は怯える。「もし、私のへまで赤ちゃんに何かあったら世界は私を許さない。陽気な夫から笑顔を奪い、編集者として関わった本や著者にも大迷惑がかかってしまう」
子どもが可愛ければ可愛いほど、大事すぎて苦しくなる。うつ病特有の奇妙なマイナス思考が回転速度を増していった。当時は脳内に、私をまったく信用していない遺伝子ばあさんがいて、「せっかくつないだ遺伝子、あんたのへまで台無しにするんじゃないよ!」と、四六時中耳もとで恫喝(どうかつ)されている気分だった。
かくして、新米母の私は急速に活力を失っていった。何とか職場復帰したものの、不調は治らず、ドクターストップがかかり、1年ほど休職した。目の前の子をうつろな目で眺め、絶望にまみれながら、虫の息でかろうじて生き延びる日々。あれは、ほんとつらかった。ただ、書き添えておくと、産後うつは適切な治療を受けることが大切だ。現に私も1年半ほどで主治医から「復職してもう大丈夫」と言ってもらい、絶望は行きつ戻りつで和らいで、消えていった。ではなぜ、私はこんなことを赤裸々につづっているのかと言うと、当時の私は、自分のメンタル特性をひたすらに恥じていたからだ。
角野栄子さん、かがくいひろしさんも
「不安耐性がもっと強ければ」「メンタルを鍛えないと」「弱い母親で情けない」……。
そう自分を責めてきた。しかしそうではないのだと、うつを経て、私は少しずつ気づきはじめる。過度の不安に取り込まれそうになった時(あるいは完全にのみこまれた時)こそ、人の中に息づく「創造性」が活性化する。不安はある意味、人生をクリエイティブに切り開く、最初のエンジンでもあるのだ。
クリエイティブが生まれる場所が、私の仕事の現場だ。一緒に働く作家さんの中には、明らかに不安を表現の動力にしていると感じる人がいる。例えば前述のヨシタケシンスケさん。気持ちがどんどんネガティブに傾いていく、持ち前のくよくよ気質をなんとか立て直すために描いたスケッチが、魅力的な作品の源になっている。
『だるまさんが』で、日本中の子どもたちを笑わせたかがくいひろしさんも、自身を悲観論者だと言い、創作することでバランスを保ち、前に進んだ。子どもの頃から大好きだった童話作家の角野栄子さんにインタビューした時は、「もともと私は心配性で、不安が増幅していくタイプ」と語ってくれた。時として、孤独と不安に襲われる育児の最中、角野さんは、自分のためだけにおはなしを書きはじめる。
「日常から離れて別の世界を創造することが、こんなに楽しく、心満たされることだと知って、私は一生書いていこう、と思いました」
「それにね、人はずっと心配、心配ではいられないの。その状態は長くは続かない。なんとか自分で行動し、海面に顔を出して息をつく。そうやってもがく力が、人間には備わっているんです」
角野さんのこの言葉に、私は深くうなずき、救われた。
うつの症状がおさまり、凪(な)いだ気持ちで静かに眺める世界が、あんまりきれいで優しくて、当時の私は、びっくりするほどよく泣いた。人は、自分の手で世界に直接触れることができた時に、涙を流す生き物なのだということを知った。子どもの変てこな寝相を見ては泣き、ひとり歌を歌ってみては泣き、友達と下らないLINEのやりとりをしては泣く。夕暮れ時の青みがかった町をぶらぶら歩きながら、「あー私、まじで死なないでよかった」と、つぶやきがもれる。夕方の風が肌を優しくなで、「ほんとほんと」と同調してくれる。
ある日ふと、自分の中で創造や芸術への理解度が驚くほど深まり、表現の核に目を向けられるようになっていることに気がついた。人間のクリエイティブの中心には、その人の想(おも)いや信念が宿り、それが人の心を揺さぶるのだということも、はっきり理解できるようになった。「ああ、だから人は感動するのか!」と。うつ病によって自分の殻がぱかんと割れ、世界と触れ合う感度が上がった。
不安や怯えは、時に「福音」
けれど回復後も、私は相変わ…