Smiley face
写真・図版
「佐賀の乱(佐賀戦争)」との呼び方が登場した帝国書院の中学歴史教科書

 「乱」か「戦争」か――。江藤新平が率いた旧佐賀藩士と明治政府との戦いを「佐賀の乱」ではなく自衛のための「佐賀戦争」と捉え直す県内の動きが、教科書に反映された。今年検定に合格した帝国書院の中学校の歴史教科書に、「佐賀の乱(佐賀戦争)」と括弧付きで補う記述が登場。県によると、一般の教科書で「佐賀戦争」の呼び方が採用されたのは初めてという。

 佐賀の乱は、明治政府に不満を募らせた士族が全国各地で起こした最初の反乱とされる。佐賀の士族が、県庁が置かれていた佐賀城に入った政府軍と交戦。各所で佐賀軍と政府軍の衝突が起きたが鎮圧され、首謀者として江藤新平と島義勇(よしたけ)は処刑された。

 だが、近年県内では、明治政府は佐賀の反政府的な動きに対して蜂起前に武力鎮圧の意思を固めており、蜂起はむしろ「自衛」の意味合いが強かった、との見方が広まった。

 2018年初版の県教育委員会作成の郷土学習資料「佐賀巡り」も「佐賀の乱(佐賀戦争)」と表記。県は江藤新平の没後150年にあたる今年、「佐賀戦争」と捉え直す特別展を開催するなど、江藤の再評価と復権を図ろうとしている。

 帝国書院の教科書では、江藤新平に関するコラムの中で「佐賀の乱(佐賀戦争)」と記載されている。編集部の担当者によると、教科書の編集に入る前に幅広く意見を聴く中で、地元の動きが耳に入り、執筆を担当する専門家とも相談して決めたという。

 担当者は「アイヌ民族や琉球…

共有