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関西大学野球部アドバイザリースタッフの山口高志さん。部員たちの練習を見守っていた=2025年4月1日午前10時38分、大阪府吹田市、小林一茂撮影
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 〝伝説の剛腕〟と呼ばれるプロ野球・阪急(現・オリックス)の投手だった山口高志さん(74)。母校・関大で学生の指導に携わるようになって10年目。今季から中日でプレーする金丸夢斗投手ら、教え子からプロ選手も複数誕生した。学生たちにどんなことを伝えてきたのだろうか。

 ――プロ野球・阪神などでスカウトやコーチをしたあと、2016年から母校でアドバイザリースタッフとして学生の指導に携わっています。

 学生野球資格を回復し、学生の指導ができるようになったのは65歳のとき。大学の先輩である桂文枝さんたちに「最後は母校に恩返しだな」と言われていた。それが大きい。

 ――学生にどう接していますか。

 野球という競技は一緒だけれど、プロと学生ではゴールが違う。個々のレベルの差も違う。ただ、野球がうまくなりたいという思いはみんな一緒。少しでもうまくなるために寄り添っている、という感覚でいる。指導というより「鏡」になってやろう、と。いまの君は、こんな姿やでって。

 ――身長169センチの剛腕でした。最初から投手だったのですか。

 高校(兵庫・市神港)のとき、最初はセンターかサードを守っていた。でも、同期のエースが足を痛めてしまって、そこから投手になった。2年の新チームのとき。ポジションへのこだわりはなかった。試合に出られたら楽しいなというくらいだった。大学に進むときに「体が小さい」とよく言われた。でも、「打てるもんなら打ってみろ」と。そういう気持ちで投げ続けていた。

 ――指導者から、投げるとき…

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