それぞれの最終楽章 看護部長ががんに(7)
米文学研究者 佐野潤一郎さん
妻の敬子は2023年12月上旬、通院先の病院にある緩和ケア病棟に入院しました。卵巣がんの告知から約3年半。その直前の1カ月間、兵庫県明石市の自宅で療養していたのですが、病状が劇的に進むのに伴って不安や孤独が募り、自ら入院を決めました。それまでの通院治療を支えてもらって顔なじみになっていた緩和ケアチームの看護師たちに「お帰りなさい」と迎え入れられて安心し、食欲や気力を取り戻しました。
- 「それぞれの最終楽章」一覧はこちら
そのころは夜になると発作的に先行きへの恐怖にかられることが増え、家では私がいつもそばにいて、手を握っていました。入院後、私は寝袋と翌日の仕事で着るスーツを持参して泊まり込みました。しかし実際にはずっと有給休暇を取るなど全く働けずに収入は激減してしまったのですが、敬子を安心させるのが第一だと、腹をくくりました。
当初、医師は「クリスマスは迎えられないだろう」と言ったのですが、敬子はその見立てを覆しました。病室の窓にサンタのシールを貼り、ツリーの電飾がきらめく中で、夫婦の恒例行事を祝いました。
年が明けて1月7日、敬子は…