プロ野球の投手として213勝。入団3年目から11年連続で2桁勝利を挙げた夫。磨き上げた抜群の制球力は「精密機械」と言われた。
そんな夫は家でいつもピリピリしていた。近寄りがたい雰囲気をまとい、「勝つことを邪魔するものは何であっても許さない」。そう口にすることもあった。
子どもが幼い頃、泣き声を聞かさないよう常に神経をとがらせた。
試合で登板する日の直前は、とくに気を遣った。子どもがぐずり始めると、離れた部屋であやした。子どもを車に乗せて近所を回り、寝かしつけたこともある。夫の見えないところで、幼い娘とふたりで「あっかんべー」と舌を出したこともあった。
「ごめんね、じゃないよ」妻は抱きしめた
1994年の引退から18年後、3度の日本一に貢献した功績などがたたえられ、夫は野球殿堂入りを果たした。表彰レリーフが野球殿堂博物館に飾られた。
「これからは人の役に立つ人…