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お好み焼きを焼く梶山敏子さん=広島市南区、上田潤撮影=2021年3月11日午後1時49分、広島市南区比治山本町、上田潤撮影
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 広島市の小さなお好み焼き店が今月初め、59年の歴史に幕を下ろした。長く地域に愛されたなじみの味と店主の笑顔。原点には、原爆で母を失った自分を支えてくれた多くの人たちへの感謝があった。

 「59年、お疲れ様でした!」。広島市南区のお好み焼き店「KAJISAN」で10月3日、「閉店式」があった。

 店主の梶山敏子さん(83)は常連客から花束を受け取り、少し緊張した様子で用意した紙を読み上げた。「まだまだ続けて、多くのお客様と接したい気持ちはいっぱい。長年にわたり、愛してくださり、ありがとうございました」

 5月に腰の骨を圧迫骨折した。かがんで鉄板の火加減を見るのも難しくなり、ずっと休業していた。ひっそりと店を閉じようと思ったが、常連客の浜部修さん(56)が閉店式を企画してくれた。お好み焼きは焼かず、ごく少人数の集まりにした。

 敏子さんの人生は逆境から始まった。4歳の時に爆心地から1.2キロの母の実家で被爆。建物疎開の作業に駆り出されていた母は行方不明となり、遺骨も見つかっていない。父はすでに病死しており、原爆孤児に。祖父母に育てられた。20歳の時に結婚した昇さん(84)もまた、父が戦死し、母を原爆で失っていた。

支えてくれた「精神親」

 店を始めたきっかけは60年…

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