17日に公表された国のエネルギー政策の方向性を示す新しい「エネルギー基本計画」の素案から「原発依存度を可能な限り低減する」との表現が削除された。2011年の東京電力福島第一原発事故の反省を踏まえた方針の転換に、福島県の避難者は「事故が終わったことにされる」とやるせなさを募らせる。
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浪江町津島地区の末永一郎さん(68)は「方針転換の前に、やるべきことが残っているだろう」と憤る。原発から30キロ以上離れた山間部の自宅周辺は放射線量が十分に下がらず、事故前は約1400人が暮らした地区の大半は帰還困難区域のままだ。
事故の後、末永さんは家族で各地を転々と避難し、「津島に帰りたい」と願っていた父・勇男さん(当時79)を翌年に亡くし、災害関連死と認定された。
「東京では、原発事故が遠くなっていった」
自宅の避難指示は現在も続き、避難先から草刈りなどで定期的に一時帰宅すると、こたつの上には当時読んだ新聞が広げられ、床が抜けるなど室内は荒れ、獣のふんが散らばっている。
「建てたときの苦労を思うと涙が出るよ。死ぬまでここに住むと思っていた。国策でこうなったのだから、国が元に戻してくれないと。原発を動かす話はそれからだと思いませんか」
春まで12年間区長も務め、政府への要望のため、町長らと上京することもあった。ただ、年を経るごとに、関心が薄れ、「東京では、原発事故は遠くなっていった」と感じる。
各地で進む再稼働、「事故、忘れ去られていく」
原発事故の後、国内の全原発…