太平洋戦争末期、米軍に撃沈された戦艦大和とともに海に消えた21歳が、生前に家族に宛てた手紙がある。自らを「国家に捧げた身」とつづる一方で、文化芸術に通じ、妹に愛情をかける青年の素顔ものぞく。乗員3千人超が戦死した大和の沈没から4月7日で80年となる。
青年の名は臼淵磐(うすぶちいわお)、戦没時の階級は大尉。ともに大和に乗っていた同じ1923年生まれの吉田満が自身の体験を元に書いた「戦艦大和ノ最期」や、「臼淵大尉の場合―進歩への願い」を通じ名が広く知られた。
「臼淵大尉の場合」でも一部が引用された、家族に宛てた手紙43通の写しが朝日新聞にある。広島県・江田島にある海軍兵学校に入校してまもない39年12月の手紙は、横浜市で暮らす1歳下の妹・汎子(ひろこ)さんにこう書いた。
「早くヴァイオリン巧くなれ!!」
「そちらは寒くなって来たら…