かこさとしさんの本を手にする藤嶋昭さん=東京都新宿区の東京理科大神楽坂キャンパス

【未来への伝言】

戦後80年の今年、改めて語り継ぎたいこと、今だから心に刻みたいことを聴きました。

 ――アジア太平洋戦争の記憶はありますか。

 私は東京・世田谷生まれで、戦争が激しくなってきたため、2歳くらいのときに、いまの愛知県豊田市に一家で疎開しました。父方の祖父がかつて住んでいた家が空いていて、水田などが残っていたためです。父は慣れない農業をし、食べるのにも苦労しました。母が洋裁をして、何とかお金を稼いだそうです。

 ――小学校を卒業するまで疎開先で暮らしたのですね。

 世田谷の家はほかの人に貸していて、中学校の入学に合わせて戻りました。小学校では、それまで長さや重さの単位が尺や貫、匁(もんめ)だったのが、突然、メートル、キログラムだと言われ、驚いたことを覚えています。通った小学校では、いまも「出前授業」をしています。

 ――化学者の道に進んだのは、戦争の体験が影響していますか。

 それはないですね。純粋に化学が好きだったからです。ただ、科学技術の研究目的は、すべての人が天寿をまっとうできる社会の実現に寄与するものでなければならない、と一貫して考えています。戦争は「天寿のまっとう」の対極にあるものです。私は、兵器の開発にかかわるような研究をしたことはありません。

アインシュタインは後悔

 ――藤嶋さんは、物理学者の…

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