恭仁京(くにきょう)を「幻の都」と呼ぶ人もいた。奈良時代の一時期、5年の間に4度も変わった首都のうちの一つで、3年余りでその役目を終えた。
謎が多いこの都について3月末に、およそ50年にわたる調査の成果がまとまったと聞いた。お願いし、その分厚い報告書を熟読させてもらった。
天皇のほかに、もう一人?
みかの原 わきて流るる いづみ川――。
恭仁京の中枢部「恭仁宮」は、百人一首の和歌にも詠まれている京都府木津川市加茂町の瓶原(みかのはら)地域にあった。「いづみ川」は木津川のことだ。
奈良の平城宮の北東約10キロほどの場所で、今は周囲に田園風景が広がる。最寄りのJR加茂駅から、歩けば30分はかかる。
ここが都だったのは、740~44年のことだ。聖武天皇が平城京から遷都し、3年3カ月ほどで大阪の難波宮へと役目を譲っている。史実として続日本紀に記されているが、「短命の宮」の詳細は長い間、分からないままだった。
京都府教育委員会が、一帯の発掘調査を始めたのが1973年度。これまで報告書が2回つくられたが、今年3月末にまとめられた3回目の報告書では、およそ50年分の膨大な成果が網羅された。
飛鳥宮、藤原宮など、奈良で古代宮都の遺跡を取材してきた身として、見逃せない。
編集した府教委文化財保護課…