映画監督の塚本晋也さんはこの10年間、全国の映画館に働きかけ、毎年、終戦の日に合わせて、戦場の恐怖と狂気を描いた自作「野火」を上映してきた。続く「斬(ざん)、」(2018年)、「ほかげ」(23年)でも戦争を描いた。いずれも自費を投じて製作した。塚本さんを駆り立ててきたものは――。
――映画「野火」公開から10年たちました。
「初めはこれほど長く上映するつもりではなかったんです。でも、この映画を作った動機の一つだった『不安』は減るどころか、年々増している。だから毎年毎年、全国の三十数館に、監督が直接連絡したら断りにくいだろうな、申し訳ないなと思いながら、上映をお願いしてきました。今年は例年より多い37館での上映が決まっています」
――飢え、恐怖、苦痛の中で兵士の心身が壊れてゆく描写は何度見ても苦しくなります。
「いきなり弾が飛んできて、体から内臓が噴き出て、人生が終わる。そんな戦場を肌感覚で体験してほしいと思って作りました。殺されるのはもちろん、人を殺すのは、どれほど嫌か。理屈抜きで、戦争への嫌悪感を伝えたかったのです」
「大岡昇平さんの小説『野火』は高校生の時に読んで感動し、いつか映画にしたいと思っていました。元兵士の方たちに話をうかがうなど、長年準備をしていましたが、『意義はあるが、お金がかかりすぎる』と出資を断られ、なかなか進みませんでした。それがだんだん『日本軍がボロボロになってゆく話は不謹慎』と拒絶されるようになってきた。何かが変わってきたと感じていた頃に、原発事故が起きました」
――2011年……。
「恥ずかしいですが、それまで原発にあまり関心を持っていなかった。少し勉強して、『核のごみ』は何万年も地下に埋めると知り、驚愕(きょうがく)しました。気の遠くなるような時間の中で、地形が変化したらどうなるのか。万が一にも未来の子供たちに危険はないのか。それよりも目先の経済を重視するのか。一人一人の命はそれほど大事にしなくていいんだと言われているような気がして、これは戦争とつながっていると感じました」
「12年の自民党『憲法改正草案』にも驚いた。憲法は国民が国家権力を縛るもののはずなのに、反対に読める条文がありました。もう待っていられない。自主製作を決めました」
――戦後70年の夏に公開されました。
「ギリギリの予算と力で作っ…