Smiley face
写真・図版
宇都宮共和大シティライフ学部のエントランスに宇都宮空襲の紙芝居を飾った(左から)ホー・キムチャンさん、柿沼咲妃さん、佐藤瑞季さん、大野洋輔さん=2024年7月、宇都宮市、同大提供

 【栃木】宇都宮共和大(宇都宮市)の学生が、1945年7月にあった米軍による「宇都宮空襲」を描いた紙芝居の動画を制作した。空襲の体験者が作った貴重な資料をデジタル保存し、当時の状況や作者の思いを広く伝えるのが目的だ。学生らは、一般家庭などに埋もれている戦争関連の資料の提供も呼びかけている。

 紙芝居は、空襲の体験者で、うめばやし保育園(同市)の園長だった斎藤セツさん(故人)が制作した。「忘れられない(昭和20年) 7月12日 うつのみやの大空襲」と題し、「昭和20年7月12日夜11時ごろ、アメリカのB29飛行機による空襲が始まりました」という語りで始まる。9枚の絵で構成され、燃えさかる火の中を逃げ回る人々などが描かれている。斎藤さんの弟で現園長の隆さんは「戦争を体験した人でないとわからないようなリアルな絵」と話す。

 園によると、斎藤さんは戦争体験を風化させないために、子どもたちに紙芝居を朗読したり、卒園者らにコピーを配布したりしていたという。

 動画制作の中心となったのは、シティライフ学部の内藤英二・特任教授の「マーケティング論ゼミ」で学ぶ3年生4人。大学に紙芝居のコピーがあることを知り、他学部の学生の協力も得て7分程度の動画にした。動画サイトには、URLを知る人が見られる限定公開でアップした。コピーは、学内サークルが空襲犠牲者を慰霊するイベントを開いたことを知った人から寄付されたという。

 動画化は、ゼミ生にとって、620人以上が犠牲になった悲劇を考える機会となった。

 祖父母から宇都宮空襲があったことを聞いていた柿沼咲妃(さき)さん=同市=は、「これまで(資料を)目にしたわけではなかったので、紙芝居を見たら悲しくなった。空襲の跡がない場所でも空襲被害があったことを知り、現状をずっと保ちたいと思った」と話す。

 佐藤瑞季さん=大田原市=は、太平洋戦争末期に日本が空襲に見舞われたことは知っていたが、大学に入るまで戦争体験談など具体的な資料に接する機会はなかった。「紙芝居から当時の様子や、作者の心情が生々しく伝わってきた。もっと紙芝居を広めようと強く感じた」。祖父母から宇都宮が空襲で焼け野原になったことを教わっていた大野洋輔さん=宇都宮市=も、「紙芝居は作者の思い、感情が顕著に出ていた」と心を動かされたという。

 ゼミでは昨年度、賑(にぎ)わいを作り出すため街を統一テーマで飾り付けする「デコレーションプロジェクト」を研究した。その一環として今年7月、紙芝居を拡大してパネル化し、同市の「大通り」を歩く人やバスを待つ人に見えるように学部のエントランスに飾った。

 今はより多くの人に見てもらうため、ベトナム出身のホー・キムチャンさん=同市=が語りの部分を英訳したり、4人で動画を紹介するパンフレットを作成したりしている。秋には学内サークルが開くイベントに参加し、子どもたちに紙芝居を朗読する予定だ。

 動画はいずれ動画サイトで全面公開する考えで、パネル化した紙芝居も求められればどこにでも飾れるようにする。

 活動を通して紙芝居を知った人が、自宅などに残された戦争関連の資料を提供してくれるかもしれない。こうした資料をデジタル保存して散逸を防げば、戦争体験を若い世代に伝え続けることができる。佐藤さんは言う。「たぶん、色んな方が作った資料が、色んな形で記録として残っている。その当時考えたことや見た風景は、人それぞれ違うと思う。色々な視点から宇都宮空襲を捉え、平和とはなんだろう、私たちが思う平和を実現するにはどうしたらいいのだろうと、もっと深く考える材料にしたい」(由利英明)

共有