哲学者の朱喜哲さん=伊藤進之介撮影

 近ごろ世間ではやるもの、フェイクニュースに特殊詐欺、「公正」「正義」がさっぱり通じぬこの世の中、どうすりゃ渡っていけるのよ、とほほと途方に暮れてたところ、西の方にはいるらしい、「公正」「正義」を〝乗りこなす〟なんて言ってる哲学者が。ほほう。ご高説、お聞かせいただきたく候。

「正しい言葉」が苦手な日本語話者

 ――大学で哲学を講じつつ、大手広告会社の社員でもいらっしゃると。ひと昔前は「哲学なんかやると就職できないぞ」と言われたものですが。

 「修士卒で入社し、在職中に博士号を取得しました。現在はデータビジネスの倫理的課題や、倫理をどう社会に実装するかを考える仕事を主にしています。こうした企業内哲学者と呼べるような人も最近増えつつあるんです。なぜビジネスの世界で哲学者が必要とされているのか? 巨大テック企業を筆頭に、倫理が差別化戦略、マーケティングの武器として使われ始めているのです。『私たちは高い倫理観を持っています。安心してデータを預けてください』と」

 ――なるほど。そこで哲学者の出番、なんですね。

 「法律に反していなくても企業倫理が問われて炎上するケースは多々あります。新しい技術がどんどん出てきて、法規制が追いつかない分野もある。どうすべきか判断するための言葉遣いを整備するのも、企業内哲学者の大きな役割のひとつです」

 「『正義』『公正』といった、哲学や倫理学が培ってきた言葉群は重要かつ有用です。『なんかずるい』『おかしい』という私たちの素朴な感覚をうまく表現してくれ、どんな問題があるかを抽出するのに役立つ。ただ、日本語話者は総じて、そのような『正しさ』にまつわる言葉遣いが不得手です。企業のコンサルティングをしていても、『そんな強い言葉、怖くて使えません』なんて言われることがありますから」

 「以前に実施した調査で、倫理とは①できれば守った方がいい『努力目標』②絶対守らなきゃいけない『義務』のどちらに近いと思いますか?――と二択で聞くと、きれいに半々に分かれました。欧米での同様の調査をみると、当たり前ですが大半が②。よしあしは別として、①のようなフニャフニャとした倫理観では世界で戦えません」

 ――ぐぬぬ。

 「もうひとつ、日本では『正義』『公正』を個人の努力や気持ちの問題に帰着させる傾向が強いので、『正義』の反対は悪ではなく『別の正義』みたいな屁理屈(へりくつ)が横行しやすい。日本語の、この、正しさにまつわる言葉の使いづらさを何とかしたいという思いが、哲学者としても企業人としてもあります」

「正義」と「善」は分けて考えよ

 ――NHK党が2022年参院選で暴露系ユーチューバーを擁立した時のキャッチコピー「噓(うそ)の正義より真実の悪」を思い出します。「屁理屈」にはどう反論すればいいですか?

 「『善』と『正義』は分けて…

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