「この世の終わり」のような激しい揺れに襲われた直後、脳裏に浮かんだのは、50年前の教えだった。
福島県の沿岸部、浜通りの最北部にある新地町で、村上美保子さん(75)は明治時代から続く老舗(しにせ)旅館「朝日館」の女将(おかみ)だった。250メートルほど先にある釣師(つるし)浜漁港で揚がる新鮮な魚介類の料理と、気さくでこまやかなもてなしが評判だった。
2011年3月11日午後2時46分、旅館の事務室で宿泊予約をチェックしていた時だった。激しい揺れに襲われ、裸足で外に飛び出し、電柱にしがみついた。調理室からは数千枚もの食器が落ちて割れる音が響きわたった。
旅館に戻ろうとしたが、大きな揺れはさらに続いた。館内の廊下のつなぎ目から、黒い泡が異臭を放ちながらブクブクと噴き上がってきた。これまで見たことがない液状化現象を目の当たりにし、「津波が来る」と直感した。
美保子さんは小学6年生まで、三陸沿岸の岩手県岩泉町で育った。過去何度も津波に襲われた町だ。学校の先生からは毎年、「大地震の後には津波が来る。てんでんばらばらに高い所や海から遠い場所に逃げろ」と教わった。
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