原爆ドームのかつての姿がわかるポストカード。原爆投下時は広島県産業奨励館という名称だった=撮影年不明

 核兵器の惨禍を伝える世界遺産の原爆ドーム(広島市)は、かつて芸術家があこがれる「美の殿堂」だった。そんな史実に着目した展示を、広島県立美術館(同)が企画した。10月5日まで開催中の戦後80年・所蔵作品展で鑑賞できる。身近な場所から平和の重みを考えてほしいというメッセージが込められている。

 原爆ドームの名称は被爆時、広島県産業奨励館だった。1915(大正4)年、チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計により広島県物産陳列館として完成し、その名の通り県内の物産を展示・販売することを主目的にした施設だった。

 「そこまではご存じの方が多いと思いますが、美術館の役割もあったことはあまり知られていないのでは」と展示を担当した主任学芸員の神内有理さん(50)は語る。

 楕円(だえん)形のドームが載ったれんが造りの建物の3階には催事場があり、県美術展や工芸作品展、児童自由書画展など、被爆までの30年間に約100回の展覧会が開かれた。最後の展覧会は太平洋戦争開戦2年の43年12月にあった聖戦美術傑作展。

 広さは県立美術館地下の県民ギャラリーとほぼ同じ約1千平方メートルで展覧会場として十分なスペースだった。

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現在の原爆ドームで開かれた展覧会の一覧表を指す主任学芸員の神内有理さん=2025年9月5日午前10時5分、広島市中区、武田肇撮影

 県立美術館で開催中の戦後8…

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