「100年をたどる旅~未来のための近現代史」沖縄編③
戦前「赤の村」と官憲にレッテルを貼られながら、「県下一の翼賛村」とたたえられるまでに変貌(へんぼう)したむらがある。沖縄県大宜味(おおぎみ)村だ。
1931年。米国発の世界恐慌で日本は深刻な不況に陥っていた。所得が全国平均と比べ少ないとされた貧しい沖縄の、さらに中心部から離れた山村が大宜味だ。この年、生活苦を背景に、青年たちによって全村を巻き込む社会運動「大宜味村政革新運動」が始まる。
「人権に目覚め、農民解放に向(むか)って起(た)ち上(あが)った」と著書で振り返ったのは、運動のリーダーのひとり山城善光(ぜんこう)(1911~2000年)だ。のちに米軍占領下の沖縄で戦後初の政党「沖縄民主同盟」を結成する。
当時20歳。家は貧しく、税の支払いにも苦しんだ。減税など24の要求を突きつけ、私腹を肥やす村長に辞職を迫った。
目をつけたのが軍だった。治安維持法下で関係者を「赤(共産主義者)」とにらんで監視し、徹底的に取り締まった。警察の裏をかいて逃げ回った山城も運動翌年、ついに一斉検挙で逮捕された。
「自分たちは決して悪いことをしていない。いいことをしているのだから今後もこの運動を続行します」。裁判に引きずり出された山城はこのとき、まだ望みを捨てていなかった。高らかな宣言に傍聴席から拍手がわいた。
貧困を脱したい村 もし、国に協力しなければ…
だが日中戦争を境に、戦時色はせり出す。
村史が指摘する「翼賛化」の…