今回紹介するのは、まだ認知症に対する世間の理解が乏しく、「認知症の診断を受けた人は何もわからなくなっている人だ」という短絡的な理解が支配的だった2005年ごろのお話です。個人情報保護のために事実の一部を変更し、仮名とします。
田中良治さん(72歳男性)は大阪の大学病院からの紹介で、私のクリニックを受診するようになりました。大学病院で診断を受け、ケアや介護保険のサービス利用を促進するために、住まいの近くの内科かかりつけ医と私のクリニック(認知症専門外来)との連携体制を作るためでした。
紹介された時点で、アルツハイマー型認知症の診断を受けていましたが、認知症の検査である長谷川式スケールでは17点(満点は30点)で、かなり詳しい話でも十分に理解できるレベルでした。
ところが、田中さんの妻は、大学病院で病名を告げられた途端に「この人はもうだめだ」と追い詰められ、介護保険申請のための主治医意見書を私に書くように求めました。
できるだけたくさんのサービスを
そして認定調査の結果、要介護1となりました。軽度ですが、介護が必要なレベルです。
それを知った妻はすぐにケアマネジャーを決め、いろいろな介護サービスを入れることにしました。
できるだけたくさんのサービスを使い、田中さんの認知症が進まないように、とケアマネジャーは考えて、デイサービスを週に3回、入れる計画を立てました。
しかし、そのデイサービスの参加者の多くは80代半ばで、認知症も重度であるため、田中さんが参加しても、話し相手になりません。そこへ行くことが彼には、苦痛でなりませんでした。
「感謝している、でも」
ある時、ケアマネジャーとともに私のクリニックを受診した際、田中さんは自分の気持ちを訴えてきました。
「先生やケアマネジャーさん…