和哉さんとの写真を手にする西垣迪世さん=2024年6月21日午前11時39分、神戸市中央区、原晟也撮影 過労死防止法10年 「防止法を作ったのに過労死がなくならず、苦しくてしんどかった」 西垣迪世さんはこの10年を、そう振り返る。自身、法整備を求め活動してきた遺族の一人だ。 ひとり息子の和哉さんは、神奈川県でシステムエンジニアをしていた。 徹夜で働き詰める日々を送り、入社2年目には「抑うつ状態」と診断され、2度休職した。 当時、和哉さんと安否確認のメールを毎朝送り合っていたが、復職から2カ月後の2006年1月、返信がいつまでたっても来なかった。 寮の管理人に確認してもらう…