■ナガサキノート 松村忍さん=1930年生まれ
長崎空港から約5キロ。少し高台にある長崎県大村市の自宅から、大村湾が見渡せる。8月9日のことを「運命の日」と呼ぶ松村忍さん(94)は、手書きの「履歴書」を広げて語り始めた。
1945年8月。松村さんは鎮西学院中学の3年生、当時14歳だった。
鎮西はキリスト教系の学校で、将来は、英語の教員になろうと決めていた。
生徒は勤労動員で軍需工場などでも働いていた。松村さんも、三菱電機の工場に動員された。
作業班には、長崎の工業学校や女学校の生徒たちのほかに、佐世保海兵団の兵隊もいた。
9日午前11時2分、作業の途中でまぶしい光がさした。同時に、工場のガラスが割れ、屋根も吹き飛んだ。とっさに机にもぐった。
紫の斑点が出て親族は亡くなった。「次は自分かも」
爆心地からは約2・5キロ…