幼い頃から絵が得意で、将来は英語の教員になりたかったという松村忍さん=2024年10月、大村市、小川崇撮影

■ナガサキノート 松村忍さん=1930年生まれ

 長崎空港から約5キロ。少し高台にある長崎県大村市の自宅から、大村湾が見渡せる。8月9日のことを「運命の日」と呼ぶ松村忍さん(94)は、手書きの「履歴書」を広げて語り始めた。

 1945年8月。松村さんは鎮西学院中学の3年生、当時14歳だった。

 鎮西はキリスト教系の学校で、将来は、英語の教員になろうと決めていた。

 生徒は勤労動員で軍需工場などでも働いていた。松村さんも、三菱電機の工場に動員された。

 作業班には、長崎の工業学校や女学校の生徒たちのほかに、佐世保海兵団の兵隊もいた。

 9日午前11時2分、作業の途中でまぶしい光がさした。同時に、工場のガラスが割れ、屋根も吹き飛んだ。とっさに机にもぐった。

紫の斑点が出て親族は亡くなった。「次は自分かも」

 爆心地からは約2・5キロ…

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