原爆について知り、平和への思いを伝えていこうとする人たちが、東京にもいる。親から受け取ったバトンを語り継ぐ子どもたちだ。 食い入るように読んだ 涙が止まらなかった 母親の手記を目にしたのは、彼女が亡くなって57年後のことだった。 雑誌「世界」に掲載された「ある白血病患者の手記」。1953年の8月号とある。次男は食い入るように読んだ。涙が止まらなかった。 《私が白血病だと初めて診断されたのは、昭和27年(1952年)7月2日のことでした》 澤原義明さんの母、登志子さ…