ノーベル平和賞授賞式を終えたノルウェー・オスロで現地時間11日、被爆者たちが若い世代らに向けて被爆体験を証言した。受賞を励みに、「核なき世界」をめざす取り組みが続いていく。
授賞式にも出席した広島の被爆者、小倉桂子さん(87)は、オスロ大で開かれたノーベル平和賞フォーラムの壇上にいた。英語で被爆体験を語り、「私が死ぬ前に地球から核兵器がなくなるのを見たい」と聴衆に語りかけた。
これまで英語で被爆体験を世界に証言し続け、各国首脳とも対話してきた。活動の原点には、亡き夫・馨(かおる)さんから受け継いだ「宝物」がある。
馨さんは平和記念資料館長などを歴任。米国生まれという出自もあり、英語が堪能で、海外への平和発信に熱心に取り組んだ。米ニューヨークの国連本部で開かれた初の原爆写真展に尽力し、生々しいケロイドの写真にクレームがついても、関係者を説得してそのまま展示させた。交流のあった外国人ジャーナリストや学者らは数知れず。桂子さんと出会ったのも、そんな友人の一人、作家のロベルト・ユンクを介してだった。
桂子さんから見た馨さんは、とにかく勉強熱心。海外のニュース雑誌に丹念に目を通し、国際情勢を追った。エレベーターで、行き先ボタンを押し忘れたまま読みふけることもざらだった。
8歳で被爆した桂子さんは、戦後の食糧難のころ、英語で印字された米国製の物資に心奪われた。広島女学院大学に進学し、英語を学んだ。
だが、結婚後は2人の子育てと義理の親の介護に追われる日々。40代を目前に、語学力はすっかりさびついていた。桂子さんは、自分が食器を洗う横で、英語の文献に目を通す夫に激しく嫉妬した。
桂子さんが41歳のとき、馨さんは突然、くも膜下出血で帰らぬ人となった。まだ58歳だった。
夫が残してくれたもの
泣き暮らしていた桂子さんに…