愛知や三重、岐阜など7府県で約1200人が亡くなった昭和東南海地震から80年を迎えた7日、愛知県内の各地で慰霊の行事が催された。戦時下で被害情報が抑えられ、「隠された地震」とも呼ばれた大震災。遺族たちは80年前に思いをはせ、祈りを捧げた。
愛知県内で最も多い188人が亡くなったとされる半田市。その大半は、自動車メーカー「SUBARU」の前身、中島飛行機の半田製作所で働く従業員や学徒たちだった。海軍の軍用機を生産した同製作所では、主力工場があった群馬県からの出向者もいた。その一人が、倒壊した工場の下敷きになり、22歳で亡くなった前原完七さん。
7日に半田市であった追悼式には、おいの前原福夫さん(74)ら遺族が訪ね、手を合わせた。
1944年12月7日。班長として女学生のまとめ役だった前原完七さんは、発災後すぐに工場の外に避難。班員を点呼したが一人見当たらずもう一度工場へ戻ったという。建物内で泣いている女学生を外へ連れ出そうとした矢先に工場が倒壊。女学生は助かったが完七さんは亡くなったという。
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