めったに飲めないエビスビールが、グラスに注がれている。
19人の若者たちは、笑顔も、涙もない。1945年4月、特攻隊が出発する前夜だった。
別れの杯を交わした場所も、また特別だった。
ここは、旧陸軍熊谷飛行学校の「将校集会所」(埼玉県熊谷市)。将校向けの食堂があった。貴重な白米に、肉がのった丼もメニューにあった。下士官は立ち入ることも、ここの食事を口にすることも許されなかった。
現在、敷地こそ航空自衛隊熊谷基地と名を変えたが、将校集会所の建物は残る。
築92年。腐った柱の一部は朽ちている。外壁の白い塗料はひび割れ、はがれた。中はがらんとしている。
長年使われていない建物は固く閉ざされ、静寂が包む。
だが、集会所の食堂の給仕だった橋本次男さん(95)の80年前の記憶では、にぎやかな音がしていた。丼と箸のカチャカチャという音。会話を交わす将校たちの声。
ひときわ大勢の人が詰めかけたのが、特攻の19人を将校200人が囲んだ夜だった。
その翌朝。滑走路に飛行機が…