【動画】山内マリコさんと西山ももこさんの対談=井手さゆり撮影
なにかと教えを請われることが多くなった40代。だけど、学び続ける「永遠の生徒」でありたい――。作家の山内マリコさんが、映画や舞台など表現の世界の第一線で活躍する「先生」に教えを請い、対話とエッセーで深めていくRe:Ronの新連載「永遠の生徒」。初回は、インティマシー・コーディネーターの西山ももこさんと、今年のアカデミー賞作品「ANORA アノーラ」に感じたある疑問と、時代の変わり目にある性描写について考えます。
Re:Ron連載「永遠の生徒 山内マリコ」第1回【対話編×西山ももこ】
【山内】 わたしは映画好きでもう30年以上アメリカのアカデミー賞をウォッチしているのですが、ハリウッドは2017年の#MeToo運動以降、本当に変わりましたね。映画業界の性暴力をニューヨーク・タイムズ紙が調査報道して、SNSで女優たちが連帯してさらに声を上げ、世界中に広まりました。それまで無視されてきた女性への性暴力が重大な人権問題とされるようになり、震源地になったハリウッドでは、作られる作品がどんどん変わっていった。
男性目線の映画ばかりだったのが、女性目線のフェミニズム的な映画が増えていって、女性監督も増えました。「インティマシー・コーディネーター」という職業も、その流れで生まれたのでしょうか?
【西山】 きっかけはフェミニズムや#MeTooで、2018年から始まった仕事と言われています。あとは「インティマシー・コーディネーターを入れてほしい」と言える時代になった。今までは若手の女性の役者が言うことがどれくらい通るのかというところがあったけれど、女性の権利が高まり、言ってもいいんだという空気感ができたのではないかと思います。
【山内】 西山さんがインティマシー・コーディネーターの資格を取ろうと思ったのはどうしてですか?
【西山】 実は最初は言葉自体も知らなくて。ロケコーディネーターなどでテレビ番組に関わってきましたが、男性社会でした。でも自分自身も適応して、それに気付いていなかった。
ただ、「何かがおかしい」という思いはありました。ルッキズムという言葉があるのに、テレビで見た目について延々といじるのはどうなんだろう、とか。現場からちょっと距離を置きたいと思っていたタイミングでコロナ禍になって、イギリスの友人から教えてもらってインティマシー・コーディネーターについて知りました。
知識を付けることで、自分のモヤモヤ、分からないイライラから抜け出せるんじゃないかと思って、勉強を始めました。そのタイミングで作家のアルテイシアさんの『モヤる言葉、ヤバイ人から心を守る言葉の護身術』(大和書房)という本を読んで、これだ!と。ちょっとずつ興味を持って、勉強することも非常に楽しくて。仕事内容に加えて、ジェンダーやハラスメント、コミュニケーション、メンタルヘルスなどについて座学で75時間の講習を受けました。
【山内】 勉強が楽しいという感覚、すごくわかります。学校のお勉強とは違って、大人になってから「学ぶことって楽しいんだ」とようやく感じられるようになりました。
小説家といってもただのフリーランスなので、会社員のようにハラスメント講習会などをお膳立てしてもらえるわけでもない。時代が過渡期に入っている中、新しい情報は自分からキャッチアップして学んでいかないと、あっという間に取り残されそうです。
【西山】 40代になってメディアに出たり講習をやらせてもらったりすると、自分がフォーマット化してくるな、と感じる。でも最近、若い友人が怒ってくれて、立ち止まることができています。
【山内】 若い人のほうが正しいこと言ってるぞ、というケースが増えましたね。
この連載のコンセプトを考えたとき、基本姿勢は教えを請う、「永遠の生徒」でありたいと思いました。自分のアンテナが反応した、心が動いたこととしっかり向き合って、学びたい。自分が気になっている方を「先生」に見立てて、生徒の気持ちでお話をうかがいたいというのがスタートでした。
なので、今まさに西山さんが「先生」なんですけど、先生から「座学で75時間」というワードが出て、それは楽しそうだとワクワクしてます(笑)。
【西山】 教科書などはなく、今日勉強することのリストみたいなもの以外は全て口頭で授業が行われました。英語がネイティブでない私は授業を聞いた後に日本語に直し、それ以外でも特にハラスメントなどは、日本とアメリカの状況は違うので、日本ではどうかを調べました。知識は常に変わるし、まずは知ることが大切で、知ることで見えるものが変わってくるんだなということを身をもって知りました。
【山内】 知識は常に変わる、本当にその通りです。この対談では「女優」と言っていますが、最近は「俳優」呼びで統一する方向ですし、言葉一つとっても常に変わる。
「ANORA アノーラ」 #MeToo以前に後退?
ここからが本題ですが、今年は「ANORA アノーラ」がアカデミー賞で作品賞や主演女優賞など主要部門を独占しました。ロシア系のセックスワーカーの女性が、客として出会ったロシア人の富豪の御曹司の相手をするうちに勢いで結婚して……というストーリー。期待して観(み)たのですが、どうも引っかかってしまって。というのも、セックスシーンが異様に多いんです。しかもヤりたい盛りの若造を相手にしたお仕事セックスが。質・量とも、ちょっと胸焼けするほど過剰で。
#MeToo以降、セックスシーンをどう描くか、かなり考えられるようになりましたよね。たとえば性暴力の加害者への復讐(ふくしゅう)をテーマにした2020年の「プロミシング・ヤング・ウーマン」(エメラルド・フェネル監督)は、意図的に性行為を一切映さなかった。昔ならレイプシーンだろうと、思いきりフェティッシュに撮っていたのに。セックスシーンやおっぱいの露出を、客を呼ぶツールくらいにしか思っていなかった業界で、すごい変化です。
女性の映画監督が増えたことで、映画作法が変わったのを実感していましたし、いいことだと思っていました。そんな流れの中で「ANORA アノーラ」は、#MeToo以前の時代に後退している映画に見えました。
さらに疑問を増幅させたのが…