レッツ・スタディー!経済編㉙ クリスマスと経済
投資漫画「インベスターZ」にNMB48の安部若菜さん(23)、松岡さくらさん(21)、坂本理紗さん(16)が入り込み、作中に登場する「道塾学園」投資部員たちと経済を学ぶ連載。きょう12月24日はクリスマスイブ。今回のテーマは「クリスマスと経済」です。
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サンタさんのプレゼントで勉強好きに!?(坂本理紗さん)
さかもと・りさ 2008年、兵庫県出身。NMB48の8期生。高校1年生。将来の夢は声優。愛称リササンタ。
安部若菜・松岡さくら「リサ、お誕生日おめでとう!」
坂本理紗「ありがとう~!」
財前孝史(道塾学園投資部員)「えっ、坂本さん、誕生日がクリスマスイブなの?」
坂本「そうです。だから愛称がリササンタ」
松岡「サンタクロースさんが来てくれて、友達や家族にお誕生日も祝ってもらえて、最高の1日じゃない?」
坂本「それがさ! 我が家に来てくれるサンタさん、私のリクエストを聞いてくれないの」
安部「そうなの?」
坂本「はい。サンタさんは小学校を卒業するまで毎年来てくれていたんですが、私はあるメーカーの携帯型ゲーム機が絶対にほしくて、毎年手紙に書いてお願いしていたんです。でも、朝起きたらいつも別のプレゼントがあって」
松岡「そうなんだ」
坂本「サンタさんは多分、私の性格を知っていて、『1日中ゲームをして勉強や生活がおろそかにならないか』と心配したのかなって」
安部「代わりに何をもらったの?」
坂本「ブロックを並べ替えて、様々な電子回路をつくれるおもちゃとか」
神代圭介(投資部主将)「手軽に電子回路の実験ができて、遊んでいるうちに電気の仕組みを自然に学べるという……」
坂本「はい。お願いしたものとは違ったけど、これが面白くて。電気やロボットにも興味をもつようになりました。理数系の勉強が好きになったきっかけでもあるんです」
安部「すごいね、サンタさんのおかげだ」
坂本「お父さんやお母さんも子ども時代にサンタさんから何かもらったのかなあ。おじいちゃん、おばあちゃんはどうだろ?」
財前「そもそもサンタクロースっていつごろから日本にも来るようになったのかな。日本史が好きな松岡さんは知っている?」
大正時代のサンタさん、ちょっと怖い!?(松岡さくらさん)
まつおか・さくら 03年、大阪府出身。NMB48の8期生。経済学部に通う現役大学生。愛称さくら、さくぱん。
松岡「はい。明治時代の末ごろにはすでに書物や新聞に登場していたようですね」
坂本「えっ、そんな昔から?」
神代「でも、当時のサンタのイメージは現在とは少し違うかも知れない」
坂本「というと?」
神代「これ、1913(大正2)年の朝日新聞に載ったサンタの挿絵。大きな羽織のようなものを着て、おもちゃ入りの袋を背負ってこちらをぎょろりと見ている様子だ」
坂本「あれ、さくら、何で泣きそうな顔をしてるの? もしかして顔芸?」
松岡「違うよ。こんなサンタさんが部屋に入ってきたら怖いやろうなって……」
安部「でも、白いあごひげは今のイメージに近いですよね。『サンタとはこういうものらしい』と人づてに聞いた話をつなぎ合わせたり、想像で補ったりして、この姿になったのかな」
松岡「クリスマスの定番といえばケーキだけど、実はその歴史も結構古いんですよ」
神代「不二家がクリスマスケーキを売り出したのが1910(明治43)年だとされているね」
安部「でも、昔は超高級品だったんじゃ?」
神代「28(昭和3)年の新聞記事によると、(当時の価格で)2~3円ぐらいから買えたみたい。今の貨幣価値だと数千円くらいかな」
安部「意外とお手頃価格だったんですね。それだけ価格がこなれてきていたということは、昭和初期には既にクリスマス関連の消費がかなりの規模になっていたってことか」
松岡「家でクリスマスツリーを飾ったり、ケーキを食べたり、贈り物をしたり。今とそう変わらない様式が、大正~昭和前期には都市部を中心にかなり定着していたようです」
財前「日本の工業化が進み、大衆文化が花開いた時代とも重なりますね」
神代「戦後になると再びクリスマス商戦は活発になるんだけど、時代の変化が当時の新聞広告や記事からみてとれて楽しいよ」
安部「へええ。例えば?」
神代「クリスマス商戦が年々前倒しになっているという67(昭和42)年の記事。東京のデパートでは、早くも11月初めから飾り付けをし、セールを始めたとある」
季節を制する者がマーケットを制する?(安部若菜さん)
あべ・わかな 01年、大阪府出身。落語、投資、小説執筆と、趣味や才能を生かして様々なジャンルで活躍。著作に「アイドル失格」「私の居場所はここじゃない」(いずれもKADOKAWA)。愛称わかぽん。
安部「今でも、11月に入れば街はもうクリスマスの装いですもんね。いち早くお客さんをつかんだ者がマーケットを制する。高度経済成長期の熱気みたいなものを感じますね」
松岡「このころって、『クリスマスの贈り物に!』といううたい文句で、電化製品の広告も多いんですね。電気炊飯器、アイロン、テープレコーダー……」
安部「日本のものづくり復活、という感じがするね」
神代「85(昭和60)年の記事では『高価なおもちゃが売れ行きを伸ばしている』。一番人気は、後に家庭用ゲーム機の代名詞となる『ファミリーコンピュータ』。好景気とファミコンブームがうかがえるね」
坂本「そのころの子どもたちも、ゲーム機をほしがっていたんだなあ。親近感わきます」
神代「でも、90年代の長期不況時代に入ると、クリスマスには『低価格商品が人気』とか、『自宅で安く、自分らしく過ごす傾向』といった記事が目立つようになる」
安部「そうしてみると、クリスマスって時代や経済を映し出す鏡でもあるんですね」
松岡「時代が変わっても、景気がよくてもそうじゃなくても、毎年、子どもたちにプレゼントを届けてくれるサンタさんって偉大な存在ですよね。小5までうちに来てくれていたサンタさんにも、改めてありがとうと言いたいです」
安部「どうしたの急に?」
松岡「いや、サンタさんへの感謝の気持ちが急にこみ上げてきて……」
坂本「あ、また泣きそうな顔つくってる」
松岡「つくってるわけじゃない!」
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【解説】社会の変化や経済発展を映し出すクリスマス
追手門学院大学・宮宇地俊岳教授の解説です。
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クロス・マーケティング社が実施した「クリスマスに関する調査」(2023年)によれば、クリスマスに欠かせないものとして、ケーキ、チキン、贈り物、イルミネーションが上位4項目に挙がっています。クリスマスに、これらのものを買ったり、飾りつけをしたりすることは、いつごろ日本に根付いたのでしょうか。
日本のクリスマス文化研究は数が多くないのですが、「クリスマス どうやって日本に定着したか」(クラウス・クラハト、克美・タテノクラハト著、角川書店、1999年)によると、クリスマスが日本に伝えられたのは、戦国時代に渡来してきた宣教師たちの手によってであり、1552年に大内氏の領国であった山口で盛大な降誕祭が行われたとの記録があります。下記、同書の記述などを参考としつつご紹介します。
1612年に徳川家康が直轄領への禁教令を発してから、1873(明治6)年2月までの長きにわたり、日本人のキリスト教信仰は抑圧・禁制下に置かれてきましたが、文明開化を進める明治政府は禁教政策を解き、多くの西洋人を社会制度や科学技術の指導者として招きました。また、医学・法学の領域を中心に、日本人をドイツへ派遣留学させました。この時期から、日本へのクリスマス文化の浸透が始まったと考えられています。
朝日新聞に掲載されたクリスマスに関する最も古い記事は、1879(明治12)年12月4日付のもので、25日に「耶蘇(やそ)の大祭日」がある旨を知らせるものでした。
明治後半、クリスマス商戦を打ち出す店が…
明治も後半になると、クリスマスの飾り付けを行い、大々的にクリスマス商戦を打ち出す店が出現しました。1885(明治18)年に創業した「明治屋」です。明治屋は、コーヒーや蜂蜜などを取り扱う輸入商社・食料品小売業者であり、当時はキリンビールの総代理店でもありました。
洋菓子や洋酒などの舶来品がクリスマスの贈り物として買われ、人気を得るようになりました。1907(明治40)年には、贈り物をするポーズをとったサンタクロースが店内に展示されていたそうです。なお、サンタクロースはこのころから子どもたちをわくわくさせる存在だったようで、明治末の朝日新聞には、サンタの到来を心待ちにする子どもの挿絵が載っています。
また、「丸善」は貴重な知識源である洋書を取り扱っており、その本を通じてクリスマスやサンタクロースの文化を伝えるだけでなく、クリスマス・カードの輸入販売も行うようになりました。
さらに、「森永製菓」の創業者は、ミルクや卵、バターを使った洋菓子は栄養満点であると宣伝し、明治屋と組んでクリスマス商戦を展開しました。「ライオン歯磨(はみがき)」の創業者は、せっけんや歯ブラシ・歯磨き粉などをサンタクロースからの贈り物として打ち出し、クリスマス商戦の中でそれらを浸透させていきました。
現在も残る老舗企業が、日本のクリスマス商戦を形作っていった歴史がみてとれます。明治初期のクリスマスの贈り物は、みかん、おこし、ハンカチなどでしたが、これらの企業の取り組みにより、1907年には、洋菓子(チョコレート、ビスケットなど)、カード、ストッキング、カレンダー、玩具、せっけんなどへと変化していきました。1914(大正3)年ごろには、キューピー人形が贈り物として人気を博していたようです。
太陽暦の導入も後押し ラジオ放送の開始も影響か
社会の変化もクリスマス文化の浸透を後押ししました。明治政府が1872(明治5)年に日本の暦として西洋諸国と同じ太陽暦を採用し、年中行事の時期と内容に変化をもたらしたこと、さらにラジオ放送が1925(大正14)年に始まり、クリスマス関係の音楽が流されるようになったことが要因として考えられます。
第2次世界大戦の後、クリスマスにまつわる消費は、戦後復興や経済成長、企業活動の活発化によっていっそう拡大します。
日本におけるクリスマスケーキの原型を作ったさきがけは「不二家」とされますが、1950年代、戦前から続いていた砂糖・小麦などの物資統制が解除されると、ケーキは甘味から遠ざかっていた日本人に大いに受けました。いっそう身近な食べ物となり、一般家庭への普及と浸透が進んだのです。
また、クリスマスの定番としてフライドチキンを食べる人が多いのも、1970年代の日本ケンタッキー・フライド・チキンの販促活動が大きな効果を発揮し、日本独特の楽しみ方として人々の暮らしに定着していった面があります。
これらを見渡すと、日本における「クリスマス経済」の拡大は、様々な産業や企業の商品開発や経営の努力を映し出していると同時に、近現代における日本社会の変容や生活の変化と響き合ってきたといえそうです。
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