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1945年8月19日、太平洋戦争末期に対日参戦した極東ソ連軍と在満関東軍で日ソ停戦会談が行われた。ソ連側が左に座り、日本側は立っている。ソ連のドキュメンタリー映画「日本の撃滅」から。モスクワ赤旗勲章記録映画撮影所製作、ヘイフェツとザルヒ共同監督で、B・ポポフ撮影

 第2次世界大戦末期の1945年8月8日、ソビエト連邦(当時)が中立条約を結んでいた日本に宣戦布告しました。ソ連は日本が無条件降伏した8月15日になっても停戦せず、当時の満州地域のほか、9月初めまでには千島列島全域を占領しました。防衛研究所戦史研究センターの花田智之主任研究官は「明白な条約違反であり、戦後の日ソ関係に負の政治的遺産をもたらした」と語ります。

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 ――なぜ、ソ連は8月8日に宣戦布告したのですか。

 当時の公文書史料から、ソ連の最高指導者だったスターリンが8月中の参戦を考えていたと推測されています。ソ連軍最高総司令部は6月28日、満州の関東軍(大日本帝国陸軍)を3方向から攻撃して壊滅させる方針を決める秘密指令を出しました。同時に、8月6日に米国が広島に原爆を投下した直後から、ソ連の動きが激しくなりました。

 スターリンは7日、対日参戦を早めるよう指示を出し、8日に宣戦を布告、9日未明には満州に攻め込みました。ただ、8月9日はくしくも、スターリンが45年2月のヤルタ会談で密約した「ナチス降伏から3カ月以内の対日参戦」の期限でもありました。

 ――スターリンは日本の無条件降伏で、停戦を考えなかったのですか。

 連合国軍最高司令官に就いた米国のマッカーサーは8月15日、ソ連のアントーノフ参謀総長に軍事侵攻を中止するよう指示しました。

 しかし、アントーノフは「ソ連軍が軍事行動を停止するか、継続するかは、ソ連軍最高総司令官(スターリン)によってしか決定されない」として指示を無視しました。

 ソ連軍は8月19日までに満州全域、25日までにサハリン(樺太)全域をそれぞれ占領し、18日には千島列島の占守島に上陸しました。戦闘は日本が降伏文書に調印した9月2日以降も続き、ソ連軍は5日までに千島列島全域を占領しました。

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