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サハリンの島影を望みながら「九人の乙女の碑」に手を合わせる高城典裕さん家族=北海道稚内市の稚内公園
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 終戦間もない南樺太(現サハリン南部)で、侵攻する旧ソ連軍から身を守るため、服毒して自ら命を絶った真岡郵便局の9人の女性電話交換手らを悼む63回目の平和祈念祭が、命日の20日、北海道稚内市で営まれた。

 祭壇には「九人の乙女」の遺影が飾られ、日本郵政やNTT東日本などの関係者、稚内大谷高校の吹奏楽部の生徒ら約240人が黙禱(もくとう)した後、全員で一輪菊を手向けた。

 「乙女」の関係者として、亡くなった高城淑子さんのおいで千歳市の高城典裕さん(60)、澤田キミさんの親類で旭川市の土田慶子さん(79)、元同僚の故金川一枝さんの娘で歌手の中間真永さんが参列した。今年も「乙女」を直接知る人はいなかったが、幼なじみの水野サダ子さん(100)らの供花が飾られた。

 高城さんは7年ぶりで、娘と孫と参列。「まだ孫は小学1年生だけど、これからもここに来て平和の大切さを学んでほしい」。乙女の悲劇を広く知ってもらおうと舞台活動を続ける中間さんは、今年は17日に札幌で上演した。中間さんは「やはり戦後80年はここにきて実感する。乙女の悲劇も含め、戦争という過去の事実にふたをすることがないよう、若い世代にタネをまいていく」と話していた。

 式典の後、参加者らは高台の稚内公園に向かった。うっすら見えるサハリンの島影を望みながら、乙女たちの最期の交信「皆さん これが最後です さようなら さようなら」の文字が刻まれた慰霊碑に手を合わせた。

緊迫した声と「苦しー」「苦しー」

 真岡郵便局の女性電話交換手は、服毒死を図る直前、約50キロ離れた豊原郵便局に電話をしていた。最期の電話を受けた栗田八千子さん(享年97)が生前、歴史系WEBメディア「北海道開拓倶楽部」(札幌市)に語った当時の緊迫したやりとりが動画に残されている。今年7月、亡くなった。

 栗田さんは1927(昭和2…

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