岩手県洋野町の町立宿戸(しゅくのへ)小学校で、創立100周年だった半世紀近く前に埋められた「タイムカプセル」が、大型連休中に開封された。
50代になった当時1~6年の児童約150人や恩師らが集まった。
「何を埋めたのか、書いたのか覚えていない」。集まった人たちに声をかけると、そんな声が大半だった。
創立は1878(明治11)年。現在は全校児童49人、今春の新入生が1人だった。当時は子どもの数が多く、370人余りが通っていた。
此処(ここ)にタイムカプセルを埋蔵せり。50年後の2028年に発掘し往時の教育を偲(しの)ばれん事を願うものなり――。1978年9月23日の日付がある校舎前の石碑はそう記す。
5年生の元担任が発起人として奔走
「約束」より3年早く掘り出したのは、当時の児童や高齢になった先生たちに一人でも多く集まってほしい、という声が出たからだった。
「朝からひとりひとりの顔を見て、『ああ、あの子か』と感激でいっぱい。何を埋めたのか。子どもたちは何を書いたのか。本当に楽しみです」
みどりの日の5月4日、当時5年生の担任だった山田幸朗さん(72)が懐かしい顔を見わたした。
東日本大震災のときには校長を務め、退職後も講師をするなど、同校に計10年以上勤めた。掘り出しの発起人となり、かつての教え子たちと準備を進めてきた。
晴天に恵まれたこの日、再会を喜び合う姿があちこちで見られた。さっそくカプセルが掘り出されると、歓声とともにいっせいにスマホのカメラが向けられた。
体育館に移動し、ふたが開けられた。
最初に出てきたのは、使い古された野球のグラブ。続いて作文、写真、習字の作品などが次々に取り出されていった。
「あっ、『ほぼさんに、なりたいです』って夢を書いてる。わたし、なりました!」
作文を見つけた当時5年生の三浦千賀子さん(57)が声をあげ、同級生たちが「すごいすごい」と拍手した。
三浦さんは3人の子育てが一段落した35歳から20年余り保育士として勤務。「子どもが好きで、保母さんになりたいと思っていたけど、書いたことはすっかり忘れていた」と笑った。
当時の担任が山田さんだった。「バイタリティーがあって、ユーモアがあって。おにいさんという感じでした」。当時の山田さんと同じ26歳になった末っ子の息子は、山田さんが校長のときに同校に通っていた。
「私の担任の先生に、私の子どももみてもらったなんて、すごいですよね」。作文に刻まれた、あのころの自分と対面し、母校の歴史をかみしめていた。
5、6年生の作文を見せてもらうと、学校の将来を想像したものが多かった。創立100周年の節目に、さらに100年後について考えてみたのだろう。自分の夢は最後に短く書かれていた。
「二刀流」の野球選手が夢だった男児は今…
「中日の鈴木投手のようなそっきゅう王や、巨人の王選手のようなホームラン王になりたい」
5年生だった岡本正善さん(58)の夢だ。
「書いたことは覚えていなかったですが、当時なりたかったのはプロ野球選手でした」
岡本さんは現在、町長を務めている。