お礼を伝える島田栄子さん(右)に牛乳をふるまう、チチヤスの久保貴義社長=2025年9月12日午前10時42分、広島県廿日市市大野、武田肇撮影

 原爆投下後まもなく、トラックで運ばれてきた牛乳に救われた――。そう話す女性が「80年前のお礼」を伝えるため、乳製品メーカーのチチヤス本社(広島県廿日市市)を12日に訪れた。同社によると、女性の証言は社内の記録と一致する点が多いといい、久保貴義社長(55)は「みなさんのために牛乳を運んだことを誇りに思います」と語った。

  • 原爆投下直後の写真に写る包帯姿の少女 吉田恵美子さんが死去

 女性は島田栄子さん(94)=広島市。広島女子高等師範学校付属山中高等女学校の3年生のとき、爆心地から約4キロ離れた南観音町の軍需工場で被爆。自宅は全壊し、父を亡くしたが、自身にけがはなく、負傷者の救護にあたった。

 島田さんによると、牛乳が届いたのは、原爆投下の翌日夕方。市中心部を流れる天満川に架かっていた橋のたもとに、トラックで運ばれてきた。

 たるのようなものに入っており、杓子(しゃくし)ですくってやけどをした人に配り、自身も飲んだ。トラックの側面に「チチヤス」と記してあったと記憶があるという。

 同社によると、広島市街地が原爆投下で壊滅した後、創業者である野村保氏の5男・真一氏(1982年に86歳で死去)が、牛乳を車に積んで何度も市内に運び、けが人に飲んでもらったという記録がある。

 のちに市長になる市役所配給課長の浜井信三氏(1905~68)の指示をあおいで市内の救護所などに牛乳を配給したとの記述もあり、久保社長は「状況は一致する」と話した。

 久保社長は島田さんから被爆状況などを聞いた後、同社の牛乳を振る舞った。島田さんは一気に飲み干して「うれしいです。今も牛乳を買うときはチチヤス牛乳を選んでいます」と顔をほころばせた。久保社長は「牛乳でつながったご縁ですね」と応じた。

 久保社長の父親も広島で被爆し、今年2月、87歳で亡くなったという。

共有
Exit mobile version