神戸市の中心部・三宮の鉄道高架下に8月、7畳ほどの本屋がオープンした。名前は「Work-Books(ワークブックス)」。

 店主の西沢明文さん(59)は朝日放送テレビ(大阪市)の記者だった。6年前の大みそか、30年間勤めた会社を早期退職した。

テレビ全盛の記者時代

 1989年に入社し、長く報道の現場で過ごした。報道番組「サンデープロジェクト」のディレクターだった98年には、和歌山毒物カレー事件が発生。現地に泊まり込み、取材に走った。

 当時はテレビの全盛期だった。締め切り前の徹夜は当たり前で、担当する特集の放送日が近いと、編集と仮眠を繰り返す日々だった。だが反響も大きく、体力、気力ともに充実していた。

1997年の神戸連続児童殺傷事件で、捜査本部が設置された須磨署前からリポートをする西沢明文さん(中央)=大木本美通さん撮影

 経済ニュースを担当していた約15年前には、劣悪な労働環境で働かされる「ブラックバイト」を番組の特集で取材した。

 バイトに応募する当事者や雇い主の声集めに走り回る一方、前提となる労働基準法は「付け焼き刃の知識」だった。自分たちは法律の全体像を十分に理解しないままに報じているのではないかと不安で、「危ういな」と感じていた。

「社労士の資格を取る」周囲に宣言したが…

 その後、管理職になった。業務や人間関係のミスマッチで休まざるを得なくなった若手の姿に幾度となく接した。男女ともに仕事と育児の両立を支援する育児・介護休業法も、人手が足りない現場ではうまく機能していないように思えた。

 「しっかり法律を勉強し、働く現場に落とし込みたい」。そう考えるようになった。「社会保険労務士の資格を取る」と周囲に宣言し、退職した。

西沢さんがテレビ局勤務時代に初めて購入した社会保険労務士のテキスト

 すぐに勉強を始めた。通信教育の分厚いテキストを取り寄せ、網羅的に法律を学んだ。いったん別の事務関係の仕事に就いたが、朝夜あわせて1日3時間ほどは机に向かった。

 しかし最初の試験は、あと1…

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