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連載「『嫌だ』がどうして届かない 性的同意と司法の今」取材後記

連載「『嫌だ』がどうして届かない」取材後記 伊木緑

 フジテレビの問題を取材する中で、忘れられない議論がある。

 タレントの中居正広氏と女性の間で「トラブル」(当時の表現)があった当日について、週刊文春は当初、「女性はフジテレビ幹部社員から、中居氏を含む大人数での会食に誘われ、断れず参加した」「直前に中居さんと女性を除く全員がドタキャンした」などと報じた。

 だがその後の取材で、当日女性を誘ったのは中居氏本人だったことが判明し、記事を修正。フジ側も1月27日の2度目の会見で社員の当日の関与を否定した。

 性的同意に関する司法の問題と、フジテレビとタレントの中居正広氏をめぐる一連の問題をこの3カ月間、並行して取材してきた記者が、二つの問題から見えた性暴力に対する理解の「断絶」を考えた。

 文春が記事を訂正すると、SNSなどで「前提が覆された」「もはやフジテレビは『トラブル』と関係がない」「フジは謝る必要がないのでは?」といった声が上がり、私はその多さに驚いた。

  • 「同意のない性行為は犯罪」めざしたが 刑法改正後も根強い男性目線

 「トラブル」の日以前から、女性はこの幹部社員からの誘いで、中居氏との会合に複数回呼び出されていたことが報じられていた。これについては実際に、フジテレビの第三者委員会の報告書でも幹部社員から中居氏との会合に3回同席させられていたことが確認されている。こうした中で、「トラブル」当日もその延長だと考えた女性が誘いを断れなかった心情は理解できるし、当日までの経緯に鑑みれば、フジの幹部社員が同社の取引先である大物タレントとの関係を良好にするために女性を利用していた、という構造が大きく変わるわけではない。

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フジテレビの一連の問題をめぐる、第三者委員会の報告書の一部

 同じ記事、同じ記者会見を見て、どうしてこれほど解釈が異なるのだろう。深い断絶を感じた。

 フジ内部でも、幹部が事案を知った当初、「プライベートな男女間のトラブル」と捉えていたことが報告書にも記されている。「なぜ(中居氏の)自宅に行ってしまったのだろうか」という会話もあったという。家に行くことは同意を意味しない、ということを理解していなかったのだろう。報告書も「(幹部の)性暴力に対する無理解と人権意識の低さが見て取れる」と指摘した。

 性暴力において、関係性という背景を過小評価することは、刑事裁判でも既視感がある。

 例えば、ほぼ初対面だった複数の男性から1人の女性がいきなり性交渉を迫られたある事件。そう簡単に応じるわけがないと考えるのが自然で、「同意があった」とみなすには、かなり積極的な「Yes」の意思表示があってしかるべきだ。

 だが、「嫌だ」と言い、帰ろうとしていてもなお、迎合的な行動の片鱗(へんりん)や供述のほころびなどを理由に「同意があった疑いがぬぐえない」として、男性らは無罪となった(上告中)。

 同意の有無を判断する際、そこに至るまでの経緯や関係性、権力勾配などにも目を配る必要がある。はっきりと拒絶できない心情へと被害者を追い込む、その構造に対する理解には、こんなにも個人差があるものかとがくぜんとする。

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調査報告書を公表した第三者委員会の記者会見=2025年3月31日、東京都港区台場2丁目のフジテレビ

 3月31日、第三者委が調査報告書を公表した。「中居氏と女性の関係性、両者の権力格差、フジにおけるタレントと社員との会食をめぐる業務実態」という背景を根拠に、「業務の延長線上の性暴力であった」と認定した。何度もうなずきながら読んだ。

 大阪大の島岡まな教授は「2023年の刑法改正に関わった刑法学者や法曹、法務省や立法者の総意は、『同意のない性行為は犯罪である』ということだった」と話す。

 その原則を実現するため、「同意」の基準を明確化したのが刑法改正の狙いの一つだったが、「何を性暴力とするか」の理解にはまだまだ断絶を感じる。司法にも、市民にも。

 報道に何ができるのか。断絶を埋めるために説明が必要なら、いくらでも記事を書こう。改めてそう思っている。

【連載】「嫌だ」がどうして届かない ~性的同意と司法の今

 「性的同意」をめぐる司法の判断が揺れ続けています。背景にある考えや法制度の課題、社会に浸透する性交観などについて、識者らに聞きました。

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「嫌だ」がどうして届かない~性的同意と司法の今

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