東京・渋谷のユーロスペースで取材に応じるレオス・カラックス監督。堀越謙三さんのことを「ケン」と呼び、いつも感謝を口にしていた=東京・渋谷

 日本にとって、いや世界にとっても大きな映画人が19日に亡くなった。東京・渋谷に老舗ミニシアターを構える映画会社ユーロスペース代表で、フランスのレオス・カラックス監督作品をプロデューサーとして支えてきた堀越謙三さん。80歳だった。現代映画に与えた影響は、計り知れないほど巨大だった。

  • ユーロスペース代表の堀越謙三さん死去 カラックス映画など製作配給

 大きな業績として、「見せる」人としての役割がまず挙げられる。1982年、のちにミニシアターの代表的存在となるユーロスペースを渋谷に開館した。独自色の強い配給、興行を行い、日本にダニエル・シュミットやアキ・カウリスマキ、アッバス・キアロスタミらの映画を紹介するなど80~90年代のミニシアターブームの道を付けた。東京はパリやニューヨークと並ぶほどの「映画都市」になったが、その先導者だったと言っても差し支えないだろう。

 その活動は映画を紹介することにとどまらない。堀越さんが半生をかけて取り組んだのが「作る」ことだった。

 深く関わったのが、早熟の天才としてフランスに登場した鬼才にして問題児のレオス・カラックス監督だ。

 堀越さんと、カラックス映画との遭遇は1987年。監督が24歳で発表した2作目「汚れた血」にベルリン国際映画祭で出会い、「全身鳥肌が立って言葉が出なかった」とのちに述懐している。今作を配給したほか、製作費がふくれあがって頓挫しかかった次作「ポンヌフの恋人」をめぐり、日本側の出資金を集める中心人物として奔走し、完成させた逸話はあまりにも有名だ。以来、カラックス映画に、借金を作りながら製作にも関わり続ける惚れ込みようだった。

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