急に暗くなった空に走る稲光。危機は突然訪れる

 私たちは、日々生きる中で大小さまざまなリスクにさらされている。外出すれば、交通事故に遭うかもしれない。家にいても、転んだり、火災が起きたりするかもしれない。感染症や生活習慣病だって心配だ。ただ、それを気にしすぎる人もいれば、まったく気にしない人もいる。リスクとどう向き合えばいいのか、社会心理学者の中谷内一也さん(62)に聞いた。

 ――「リスク」という言葉を聞かない日はないのに、言葉の意味をちゃんと理解できているか、心もとなく感じます。リスクとは一体何で、それをめぐる学問は進歩しているのでしょうか。

 リスクとは「人間の生命や健康、資産に望ましくない結果をもたらす可能性」のことだと考えています。ある特定のリスクの大きさは、データ(実測値)とモデル(計算式)から求めます。これをリスク評価と言います。

車の事故と飛行機事故、どちらが気になる?

 ――一つひとつのリスクの大きさが正確につかめれば、自分が次にどんな選択をすればよいか、悩まなくて済むような気がします。

 たくさんあるリスクの大きさを比較する「リスク比較」という手法があります。例えば自動車と飛行機はどちらが危険か。喫煙と飲酒の害はどちらが大きいかなどは比較できます。リスクの大小を比較し、何から対策をほどこすかの根拠として使えそうに思えます。

 でも、ことはそう簡単ではありません。過去のデータをいくら蓄積できたとしても、評価・予測モデルを大きく進歩させられるとは限らない。多くのリスクについて将来を確実に予測するのは難しいのが実情です。

 例えば、地震の記録を残せるようになったのは、地球の歴史のうちごく最近のことです。データが圧倒的に足りませんから、地震がいつどこでどの程度の規模で起きるか、正確な予測は困難です。台風予報は向上しましたが、早い段階での予測は今でも難しい。放射線による人間の被曝(ひばく)リスクも、特に低線量被曝は精密な予測が難しいです。しかも巨大地震や大事故が起きればデータが加わってリスクの評価じたいも大きくぶれます。それでも被害が起きてから行き当たりばったりに対応するよりはまし、という感じです。

 ――将来予測は難しい。危険度も大まかにしか分からない。それでも人は生きていくわけです。リスクを避けることばかりを気にして生きていたらつまらないような……。

 リスクとどう向き合うかは人間の心理や個人の価値観にもかかわっており、社会制度のあり方にも左右されます。

 国内の交通事故による死者数は、年間3千人弱です。これに対して、航空事故による死者は近年、年に数人程度にとどまっています。利用者数の多さをならして比べても、車よりも飛行機や鉄道のほうが格段に安全です。そんなリスク比較を多くの人は耳にしたことがあるはずです。でも、誰もが車の利用をためらわない。このように人はリスクを避けてばかりいるわけではありません。ちなみに自転車事故の死者は昨年346人と交通事故の1割以上を占めますが、まだそれほど社会問題にはなっていません。

 ――確かに、リスクへの対応は個人の判断や社会的合意の問題でもあります。医師の判断と患者自身の同意のもとで、X線検査やCT検査などの医療被曝が許されている。リスクよりも効用が大きいからですね。

 もちろん、リスクの存在が分かっているなら、なるべくそれを小さくする政策や制度を用意する必要があります。でも、限りなく小さくすればいいかというと、そうでもない。限りなくゼロに近い「ゼロリスク」を目指せば、対策コストが増大して本来得られるはずの大きな効用を得られなくなる弊害も生じます。

 記事の後半では、ワクチンや巨大地震のリスクとどう向き合えばいいか、中谷内さんとともに考えます。人間のこころには「直情径行型」と「慎重居士型」の二人が同居している、って本当ですか?

 ――コロナ禍は緊急時でした…

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