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齋藤純一さん

 内部告発によって組織の不正が明るみに出る事例は多い。だが中には、告発者が裏切り者扱いされてしまうケースもある。人は集団の中に埋没するだけの存在なのだろうか。そもそも「公共性」とは何か。政治学者の齋藤純一さんに聞く。

さいとう・じゅんいち 1958年生まれ。早稲田大学教授。専門は政治理論。著書に「公共性」「平等ってなんだろう?」、共著に「ジョン・ロールズ」など。

 血液製剤を造るメーカーでの不正製造が2015年に明らかになりましたよね。きっかけは内部告発でした。

 人々の生命や健康を脅かす明白な不正が進んでいるとき、その事実を知りうる立場にいる人が問題を内部から告発する証言行為には、公共的な意義があります。人々の基本的な権利を守る行為だからです。

 しかし実際には、告発者が裏切り者とみなされてしまうこともあります。「集団の利益を追求する」「仲間を守る」といった内部倫理が、「基本的権利を侵害しない」という道徳に勝ってしまう現象です。後ろめたさはあっても、自分の属している集団を守らなければならないという動機付けが、不正に目をつぶる言い訳になってしまうのです。

 米国の哲学者ジョン・ロールズは、私たちの理性を大きく二つに分けました。

 一つは、合理性です。与えられた目的をスマートに追求することです。組織に属する人が組織のために合理性を最大限に働かせること自体は、否定されるべきではないでしょう。

 しかしロールズは、もう一つ…

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