吉村光子さん(右)と保さん=吉村さん提供

 「いろんなことがあったからですね、無駄に生きてませんよ」

 吉村光子さん(101)は、17年前に亡くなった夫と建てた長崎県時津町の家でひとりで暮らす。読書をしている時間が多く、テレビは時代劇や洋画くらいしか見ない。食事も自分で準備する。

 関東大震災の年に生まれ、1945年8月9日、長崎市の爆心地から約1・1キロの工場で被爆した。

 20代で結婚したころは、「原爆おった人を嫁さんにもらったってなれば、評判が立つから、言わんほうがよかよ」と周囲から言われていた。

 知人から勧められ、被爆体験を話すようになったのは70歳を過ぎてから。今年2月にも、修学旅行で長崎を訪れた中学生に、自身の体験を語った。

 この夏、記者は、1世紀を生きてきた吉村さんの人生をたどった。

 1923(大正12)年、長…

共有
Exit mobile version