関西の大学生たちが、福島県内の原発事故の被災地を訪れる取り組みを続けている。学んだことを幅広い若い世代に伝えようと、9回目となる今年も16人がやってきた。
東日本大震災後、学内に災害復興支援室を設けた立命館大の課外プログラム「チャレンジ、ふくしま塾。」だ。東京電力福島第一原発から距離がある西日本に福島の現状を発信しようと、県と連携協定も結んで2017年度から始まった。
塾頭を務める丹波史紀・産業社会学部教授は、前職の福島大准教授時代、被災地の人たちへの支援活動を続けた。そのつながりを生かし、学内の募集に応じた20~30人が毎年度、福島を訪れている。今年は8月と今月に浪江、双葉、大熊、川内の4町村で、それぞれ2泊3日でフィールドワークを実施した。
学生たちは、どんな思いで塾に参加したのか。
京都で生まれ育った産業社会学部3年の大八木望さんは事故が起きたとき、保育園児だった。幼いながらに、大人たちが「大変なことが起きた」と話していた記憶はある。だが、それ以降、事故のことを学ぶ機会はなかった。「幼少期の解像度のまま、社会人になっていいのか」と参加した。町民からじかに話を聞き、「どんな思いで毎日を懸命に生きてきたのか」に気づけたという。「京都からの地理的な距離は変わらないが、関心を持てば心理的な距離は近くなる」と思った。
文学部2年の緑川陸さんは白河市出身だ。事故が起きたときは5歳。地震が起きるたびにパニックになり、震災や事故のことを学ぼうという気持ちにはならなかった。大学に入り、友人から原発事故のことを聞かれ、何も答えられなかった。被災者から話を聞き、「風化させてはいけない。ありのままの福島の姿を伝えたい」と感じた。
学生たちは秋の学園祭にブースを出して、今回の訪問でそれぞれが得た情報を発信するという。来年3月に学内で催す3・11追悼シンポジウムでも、福島の復興のあり方を議論する予定だ。
立命館大の学生たちのフィールドワークの主な内容
1回目現地訪問(8月1~3日)
(初日)浪江町津島地区の羽附(は・つけ)集落を視察。町の復興拠点(特定復興再生拠点)から外れたが、昨年1月に特定帰還居住区域に認定され、住民帰還への道筋がついた場所。原発事故後、町役場職員となった津島地区出身の若手女性職員から説明を聞く
(2日目)復興支援活動をきっかけに、銀行員を辞めて楢葉町に移住した若手男性や、「チャレンジ、ふくしま塾。」に参加したのちに浜通りで起業した立命館大卒業生から話を聞く。双葉町ではJR双葉駅前に整備された町営住宅を視察
(3日目)学生時代に大熊町に通い、町の名産だったキウイの再生を始めた男性や、川内村で地元の水を使って「世界一のクラフトジン」づくりに挑む若者から話を聞く
2回目現地訪問(今月14~16日)
(初日)大熊町の帰還困難区域や、JR大野駅前に今春に完成した産業交流施設や商業施設を視察
(2日目)産業交流施設内にある中間貯蔵事業情報センターで中間貯蔵施設についての説明を受ける
(3日目)義務教育学校やこども園が一体となった大熊町の教育施設「学び舎(や) ゆめの森」を見学