幾重にも咲く醍醐寺の桜=2025年4月2日午前、京都市伏見区、新井義顕撮影

 「和風 数(しばしば)重(しき)りて 百花開く」

 (柔らかな風がしばしば吹いて、桜の花びらが多く開いている)

 平安時代の812年、嵯峨天皇は京都市中京区の神泉苑で「花宴(かえん)の節(せち)」を催し、歌を詠んだ。

 史書「日本後紀」に記されているこの花見は、日本に残る最も古い桜の満開の記録とされる。

 それまで、日本では花見といえば梅が主流だったが、これを機に桜に変わっていった。

 公家らは満開の桜の下に集い、歌を詠み合った。紫式部は、源氏物語で、光源氏が花見の宴の後に朧月夜(おぼろづきよ)と出会う場面を書いた。

 花見の文化は次第に庶民にも広がり、日本中に多くの桜が植えられ、日本の文化や風景を象徴する花になった。

 大阪公立大の青野靖之准教授(農業気象学)は、京都でヤマザクラがいつ満開になったのかのデータを1990年ごろから集めている。史書や日記から日付がわかる記録を探し、812年から現代まで1200年余りのうち、836年分の満開日を特定した。

 なかでも有名なのが、戦国時代末期の1598年、権力の絶頂期にあった豊臣秀吉が、京都市伏見区の醍醐寺で開いた「醍醐の花見」だろう。

 その経緯は、義演(ぎえん)座主(ざす)(住職)の日記に詳しい。

 「太閤秀吉が突然醍醐寺を訪…

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