気仙沼―東北 五回、右飛を捕球し審判にアピールする気仙沼の河野開主将(右)=2024年7月7日午前11時4分、鹿島台中央、岸めぐみ撮影
  • 写真・図版

(7日、高校野球宮城大会1回戦、気仙沼0―7東北)

 五回裏無死。守る気仙沼にとって0―5の劣勢の場面。打席に入ったのは2打席連続で右方向のヒットを打っている東北の6番、種村一晟(いっせい)選手(3年)だ。1ボールのあとの2球目。打球はまたも右方向へ伸びていった。

 右翼手の河野開(ひらく)主将(3年)は、後方へ伸びていく球に向かって走った。左手のグラブを伸ばし、滑り込みながら好捕球。「負けたくない一心で、気持ちで捕った」

 「ナイピッチ!」「2アウトー!」。河野主将は相手の迫力ある応援に負けまいと、投手が1球を投じるごとに右翼から声を張り上げた。気仙沼の3年は4人のみ。後輩が多い中、主将として誰よりも声を出し、引っ張っていこうと決めていた。

 七回、気仙沼の攻撃前の円陣で、河野主将はチームを鼓舞した。

 「3年生の夏、もっと続けるために全力でいこう」

 この回、得点にはつながらなかったものの、この試合で初めてとなる連続安打が出た。

 野球をするのは高校まで。これが「人生最後の試合」だ。東北の校歌を聞きながら、悔しさの涙があふれた。1962年に甲子園に出場した気仙沼。伝統のユニホームに別れを告げ、次の夢に進む。(岸めぐみ)

共有
Exit mobile version