Smiley face
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被爆体験を語る川上繁治さん=2025年8月7日午後4時29分、福岡市城南区、根元紀理子撮影

 初任地の福岡に配属されて初めての夏、被爆者の方を取材した。

 内心、不安でいっぱいだった。広島と長崎に足を運んだことはあるが、直接、体験を聞いたことはなかった。祖父母と戦争の話をしたことすらない。どんな気持ちで聞けばいいのだろう。被爆者の方の思いを受け止められる自信は無かった。

 広島・長崎の原爆投下から80年。朝日新聞、中国新聞、長崎新聞の3社が合同で実施したアンケートの回答者に取材をお願いすることにした。

 福岡に住む被爆者の方の回答を読むと、体験をつづった手記を添える人、力強い字で「戦争反対」と記している人、それぞれの思いが込められていた。

 目にとまったのが川上繁治さん(94)だった。中学3年生の時、学徒動員中に長崎で被爆したという。戦争体験を話したのは自分の子どもだけと書かれていた。恐る恐る電話で取材をお願いすると、「たいした話はできないけれど」と快諾していただいた。

 8月7日午後、玄関のドアを開けた川上さんは笑顔だった。居間には趣味で集めているというカラフルな食器が飾られ、室内を彩っていた。「暑かったでしょう」と、キンキンに冷えたジンジャーエールを出してくれた。

 川上さんと向かい合って座り、取材が始まった。原爆が投下されたその日の体験、その後の暮らしぶり、そして、情熱を注ぐアート――。私のたどたどしい質問にも一つ一つ丁寧に答えてくれた。

 驚いたのは、川上さんの語る姿だった。つらい記憶を思い出して表情が曇る時もあった。それでも、米兵との出会いや仕事の話、家族への思いなどを笑顔を交えながら話してくれた。

 「被爆者の方は常につらい思いを抱えている」と思い込んでいたのかもしれない。今を生きる川上さんの話を聞きながら、取材前に感じていた戸惑いや不安は消えていた。

 しっかりと取材相手に向き合い、耳を傾け、そのひとだけの声を届けたい。川上さんと出会って、改めてそう思った。

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