「neoコーキョー」発行人・辻本達也さん寄稿
「近くをぼーっと眺めてると、日常に隠れた宝箱がみえてくることがあります。それらを現地まで行ってひとつずつひらいていく。neoコーキョーはそんなシリーズです」(『neoコーキョー1』松谷書房、2024年9月発行)。 立ち上げた出版社で『neoコーキョー』を発行する辻本達也さんが、身近なことに目を向け、考えたことをつづります。
- 言論サイトRe:Ron(リロン)
僕は平成元年生まれの「フィールドワーカー」だ。もともとはスマートフォン向けのゲームをつくる会社で企画職に就いていたが、それから演劇に出演するようになり、新型コロナウイルス感染症の流行拡大を経てフィールドワーカーになった。
今は、「考近学」というキーワードを軸に、身の回りをフィールドワークしている。
唐突に「考近学」という言葉が出てきたが、「考近学」とはなにか。それは、「自分のなかにある先入観をくつがえそうとする実践である」と、定義のようにして書いてはみたものの、「考近学」という言葉は僕がつくったものだ。この言葉になった理由については、もうすこし先で説明させてもらえればと思う。
「先入観をくつがえされる瞬間」に注目し続けてきた
幼い頃から僕は、先入観をくつがえされる体験が好きだった。先入観をくつがえされる——そう言うと、何か難しい思想書を読んで、考え方が大きくひっくりかえるような体験を想像されるかもしれない。それもひとつなのだが、むしろ僕がずっと引かれているのは、日常の風景がほんのすこし違って見えるような言葉や作品に出会う瞬間のことである。
どんな感じかをつかんでもらうために、ひとつエピソードを話したい。
小学5年生のときサカボンという友人がいた。下校中、彼とふたりでバス停のベンチに座っていたときのことだ。道の向こうに見える大きなマンションを指さして、サカボンがこう言った。
「トイレがこうやって縦に並んでるんだぜ。焼き鳥みたいに」
何のことを言っているのかわ…