太平洋戦争末期の沖縄戦で「ひめゆり学徒隊」に動員され、戦後は語り部として活動した与那覇百子(よなは・ももこ)さんが8日、老衰のため死去した。96歳だった。

 首里市(現・那覇市)で生まれ、沖縄師範学校女子部に在籍中の1945年3月末、学徒動員される。負傷兵の看護にあたり、6月18日に学徒隊に解散命令が出た後は戦地をさまよい、米軍の捕虜に。戦争で父と姉2人のほか、多くの級友を亡くした。

 戦後の55年に上京し、東京や埼玉で生活。学校や自治体で平和の語り部として体験を語り、ひめゆり平和祈念資料館(沖縄県糸満市)の証言員としても活動した。

 著書に「生かされて生きて」。22年に出版された児童書「ももちゃんのピアノ」のモデルにもなった。

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