三陸沿岸の岩手県釜石市で、小さな写真館を営んでいた男性がこの春、急逝した。震災直後から、被災地でシャッターを30万回以上、切り続けた。彼を駆り立てたものは一体、何だったのだろうか。
菊地信平さん、享年75歳。冬でもビーチサンダル、夏でも白い長袖シャツ。老眼鏡は、時に頭の上に載せる。なじみの喫茶店に出かける時も、外の撮影に向かう時も、そんなスタイルを貫いた。
人生が急展開したのは、還暦を過ぎた頃のことだ。父親が始めた小さな写真館を長男らに引き継ぎ、好きな競馬を楽しみながら気ままに過ごすはずだった。あの日、津波に襲われるまでは――。
2011年3月11日。地震と大津波警報が鳴り響いた市街地で、写真館から仕事用の一眼レフを持って、表に飛び出した。
近所の高齢者らが路地に立ち尽くし、奥を見ている。奥の交差点から水と大量のがれきが迫ってくる。
レンズに迫ってきた大津波の先端
シャッターを切った。
水は津波の先端で、市街は壊…