永田和宏さん

 こんなつらい気持ちは、誰にも分かってもらえない。

 ひとり追い詰められ、苦境に陥ることがある。

 「そんな時、似たような経験をした人の歌を目にすると、『自分だけじゃない』と励まされる」

 歌人の永田和宏さんはそう語る。

 たとえば、親を介護する日々のなかで詠まれた短歌。

 初めてのオムツをした日母が泣いた私も泣いた春の晴れた日(近藤福代〈朝日歌壇2020〉)

 わが母は襁褓(むつき)とりかへられながら梟(ふくろふ)のやうに尊き目する(川野里子「歓待」)

 人生半ばを過ぎて訪れる困難や喜びを詠んだ近現代の短歌の数々。永田さんは、それらを読み解く「人生後半にこそ読みたい秀歌」(朝日新聞出版)を出した。中高年にエールを送る一冊だ。

酔って縁石につまずき……

 細胞生物学者としても知られる永田さん自身、齢(よわい)78歳の後期高齢者だが、いまなお忙しい日々を送る。

 この3月には女性科学者を表彰する猿橋賞の選考に携わり、4月は歌壇最高峰とされる迢空賞の選考会に出席。5月には細胞生物学の国際学会に招待され、ギリシャ・クレタ島で「細胞内不良たんぱく質を分解処理する新しいメカニズム」について英語で講演したばかりだ。たまの休日を使って東海道を踏破し、現在は中山道を友人と歩いている。

 そんな「超人」でも、「年をとった」と感じることが増えたという。

 酒豪として鳴らしたが、昨年2月、研究仲間との懇親会後、酔って歩道の縁石につまずき、左ひじの骨を折った。7月には同年代の親友だった生化学者の田中啓二さんが亡くなり、深く落ち込んだ。

 「中年を過ぎると、身体も悪くなるし、ネガティブな感情に襲われることもある。だけど一方で、老いを詠(うた)いとめた斎藤茂吉の歌をはじめ、さまざまな歌人の中年期以降の作品を読んでいると、生きてきた時間の集積によって、豊かだな、おもしろいな、と感じられる歌が多いことに、ある時、気づいた。『人生後半も捨てたもんじゃないな』と歌から光を当てられたらと考えた」

 取り上げた作品は、斎藤茂吉や若山牧水ら近代の歌人や同時代を生きる現代歌人の歌を中心に、万葉集から選者を務める朝日歌壇の入選歌まで幅広い。

 家族との死別については、妻で歌人の河野裕子さんを亡くした体験から「その死がどーんと重くのしかかってくるのは、死の直後ではなく、しばらく経ってから」とつづり、こんな歌をあげている。

 あほやなあと笑ひのけぞりま…

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