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訪韓直前の記者会見に臨む苫小牧市長時代の岩倉博文氏=2023年10月23日、北海道同市役所、松本英仁撮影

 北海道苫小牧市長を5期18年務めた岩倉博文氏(75)が18日、病気のため死去した。同氏が相談役を務めていた岩倉建設によると、通夜は21日午後6時、葬儀は22日午前10時、いずれも苫小牧市明野新町3の7の26、苫小牧市民斎場明野ホールで。一般焼香は21日午後3時~5時30分、22日午前9時~9時30分に受け付ける。

 岩倉氏は1989年に日本青年会議所副会頭を務め、岩倉建設の役員に就任。2000年の衆院選に自民党公認で道9区から立候補し、民主党(当時)代表だった鳩山由紀夫氏と接戦を演じた末に、比例道ブロックで復活当選、03年まで1期務めた。市長選には06年7月以降、連続5回当選した。

 男女平等参画都市宣言や職員の働き方改革、ジェンダー政策の推進、家族の介護などで学校生活に支障をきたす学生のケアを行うヤングケアラー支援条例を道内自治体でいち早く制定するなど、先駆的な取り組みを推進した。

 23年11月、韓国出張中に心室細動による不整脈の疑いで倒れた。入退院と公務復帰を繰り返し、昨年11月、任期を1年半余り残して退任した。

 岩倉氏から「後継指名」を受け、昨年12月に就任した金沢俊市長は18日夕、報道陣の取材に応じ、「政治の世界に導いてくれた恩人。亡父と同い年でより身近に感じた」と岩倉氏の突然の訃報(ふほう)に驚いた様子だった。3月2日に岩倉氏の自宅を訪ねた際も「いつも通り、非常に元気に見えた」。「新聞で見ているよ。頑張っているな」と励まされたという。

 金沢市長は「岩倉氏の功績は挙げ始めたらきりがない。存在だけで市にプラスになる人だった」「間もなく完成する市民文化ホールなど市の行く末をまだまだ見ていていただきたかった」と悔やんでいた。

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