山腰修三のメディア私評
8月は「戦争の記憶」が語られる季節である。とくに戦後80年にあたる今年は、新聞やテレビ、雑誌などの伝統的メディアを中心に力の入った企画が数多く展開された。
伝統的メディアがこうした「周年報道」に取り組んできたのは周知の通りである。このジャーナリズムの実践は、アジア・太平洋戦争、あるいはより広義には満州事変からポツダム宣言の受諾と降伏へと至る「戦争の記憶」を社会の中で再生産する役割を果たしてきた。重要なのは、これらの報道が繰り返されることによって、当事者たちの個人的な体験をめぐる記憶が集合的な、つまり社会的な記憶となり、実際に戦争を経験していない世代の間でも共有される点である。そして戦後日本のジャーナリズムの一連の取り組みが、悲惨な戦争の体験を二度と繰り返さないという「平和」をめぐる社会意識の形成に寄与してきた。
周年報道は社会の「いま・ここ」を歴史的に捉える視座を提供する役割を果たす。それは、過去の経験から教訓を学ぶための手段でもある。そして「戦後」という言葉が依然として使われることがまさに示すように、「あの戦争」に関わる集合的記憶とそれが作り出す歴史的視座は、日本社会の「いま・ここ」を捉える際の特権的な参照点となっている。
その一方で、政治とメディア…